ことのこと。

思ったこと。感じたこと。自分の視点で自分の言葉で描いてみる。

「僕がネット弁慶であることの理由とその証拠」のこと

こんにちは。

 

きくちです。

えっとですね。

 

一昨日、

すごい久々に10分という長時間、ホストファミリーの人と話す機会がありまして、

 

「日本ってどんくらい離れているの?」

「兄弟いるの?」

 

という

普通出会って5分で質問されるであろうことを聞かれるのに

1年半かかりました。

あぁーついにこのレベルまで自分もきたか。。。

 

むふむふしながらおうちに引きこもりいつものように

パソコンいじってSNSを見てたら

なんだろう、僕のことをとてつもなくレベルの低い人間として思わせるような

俗称、「意識高い」人が溢れていたわけです。

 

ふ。ふん。こんな人なんてきっとあれだよ。カッコつけてるだけで

実際は大したことないよん。きっと畳のマス目を数えるのが趣味だったりするよ。

 

とか言い訳と思い込みでいつものように華麗に現実逃避を決め、

目をつぶっていたのですが。

 

そしたら昨日いつものように学校へ行き、いつものように帰宅する時に、

子どもに「きくちって遅くに来て、とっても早く帰るね!」

と満面な笑みで言われた時。

 

さすがに考えました。

 

おい。おいおい!きくち!お前はこれでいいのか!?

こんなことを言われる日本人でいいのか!?おいぃーーーー!!

 

一瞬でいろんな悲しみと切なさとやるせなさと空腹を感じながら

子どもには

 

「しーっ!校長先生には内緒だぞ」

 

と言い逃げし、

 

 

道中やはり考えた。

こんなのでいいのか。世の中にはとても意識高い人がいて、、

自分なんて。。。

このままでいいのか。。

おい。このままでよぉぉぉーーー!先生!バスケがしたいーーー!

 

いや違う!!断じて違う!変わらなきゃ!!変えなきゃいけない!!

 

この間違った世の中をっ!!!

僕は間違っていない!!!

 

 

はい。と言うことでですね。

ここからは最近僕がなんか感じだ勝手な愚痴といちゃもんと文句をただ垂れ流していきます。

不快になるかもしれないけど以下自己責任ね

 

 

「物事を控えめに言う奴」

 

最近SNSでちょこちょこ見る。

「控えめに言って〇〇だった〜」 

  用例:「この前のイベント、控えめに言って最高だった」

とかいうやつ

 

 

 

・・・・

なぁ。。。

 

 

 

 

 

胸を張れ。

 

 

なぁ。もうちょい自信持って。

堂々と言えや!!!

何故そこで控えめに言う!

え、なに!?控えめに言って最高なら堂々と言ったらどうなるの?

宇宙!?

 

最高ってあれだぞ最上級だぞ!

だいたいSNSに控えめに言うってなんやねん!

 

控えめに言いたいなら

「控えめに言って友達の友達の結婚式の二次会みたいな楽しさでした」

くらい控えろ!なんとも言えない空気感だして!

 

 

 

SNSで言うくらいなら直接言え」とかいうやつ。

(かつての「陰口叩くくらいなら直接言え」)

 

 

はいこれね。僕みたいなネット弁慶

ネットでは饒舌だけど直接会うと

「あ、う、あの。。」とかしか話せない人に対して

よく言われる言葉。

 

あのなぁ、これに対して言いたいことがある。

 

 

直接言えないからここで言ってんじゃい!!

そんな勇気と能力と度胸があったら直接言っとるわい!!

 

それあれだぞ!お前はマリーアントワネットか!!

パンがないならケーキを食えと同じだからな!

 

ケーキあれば食ってるわ!

ないからパン食ってるんじゃい!

 

わかれ!そんくらいわかって!

ねぇ!すいません!わかってください!

 

 

3 日本人代表を語る奴

(大体において宗教がよくテーマに挙げられる)

 

海外に住むと必ずと言って直面する宗教の話題。

 

よく

日本人として〜、彼らにとっては僕が日本人のイメージなるから〜

 

といった枕詞で宗教の話をできないと恥ずかしい。という発言を見ます。

 

 

いやいや!ちゃうから!!

代表ちゃうから!!

大体100歩譲ってそうだとして

君がやることはウィキペディアでググったのを伝えるだけだろ!!

こっち来る前に宗教に関心持ってたか!?お寺に行ってたか!?教会行ってたか!?

 

 

ググって

ほうほう。神道というものがあるのか。ふむふむ。

という一夜漬けの知識を披露することがそのまま日本人のイメージになっちまうから!!

知らないことをしーらない。って堂々と言え。

 

ということで僕は

え?日本の宗教?しらね。だって興味ないもん。

え?多数の日本人は宗教もってないよ。

少なくとも教会だとか神社に日常的行ってないよ。

 

でもクリスマスにはわーーってして。

正月には初詣行って

お盆には墓参りして

お米一粒には神様めっちゃいるよ。

バレンタインでは計算する女の子と期待する男の子でデパートの地下がゆれるよ。

 

 

理由?しらね。なんでだろうね。日本の文化みたいなもんじゃね?

 

くらい曖昧なことを言っております

 

何が悪いのだ。と僕は思うわけです。

日本人代表であるならば

一夜漬けのハリボテの日本人像よりも、

その一人の日本人としてどう考えるか。ということを重視しようではないか。

と思うわけでございます。

というか日本人像を教えるのじゃなくて

一人の日本人として接すればよくない?と思うわけです。

 

意識高い系と言われる人たち

(この表現好きではないけど。。)

 

SNSなんかのぞいたらもう

なんて世の中は楽しいんだろう。と思わせるような発言で溢れてます。

 

 

「働くって〜生きるって〜自由って〜」

みたいな感じでなんか世の中の真理を解いてる人たちがたくさんいます。

でもよくよくそれ読むとさ、

 

 

「信号って青信号は基本的には「渡れ」だけど、状況次第で渡っちゃいけなんだよ。

赤?うーんまぁ、基本的には渡っちゃダメだよね。でも例外がある。

つまり黄色でどうやって判断するか、なんだよね。なんなら人生、黄色信号。それが全て。つまりルールに従うな。自分の判断に従え。」

 

 

みたいななんかこう

 

いやわかるけどっ!!!!

わかるけど何言ってんのっ!?

なんでちょっとかっこよく言ってるの!?!?

それって一行で表現できないの?

比喩が多すぎてなんだかもうわからないよ!

あれぇー?村上春樹かな!?

 

という非常にユニークな

文章をちょくちょく見かけます。

 

いやでもまてよ、、、

そういう日々の当たり前のことを

形を変えて改めて問いかけている。。

まさかこれは哲学に通じるものがあるのか。。。

。。。

そうか。奴らは哲学者だったのか。

「当たり前」に埋没してしまっている「当たり前」を

引き合いに出して、、、

 

えーっと。。。その、あーだこーだ。

 

 

でも要約すると

 

目標持って生きようね。

やることやろうね。

自分大好きでいてね。

この三つに全て当てはまるような気がするよ。

 

 

 

5日本人社会を嫌う奴

 

これ。

これ。これ。

 

よくいろんな人とが言っています。

日本人社会きらいなんだよねー

とかいうひと。

例えば空気を読むということや礼儀を重んじるとか。

うんうん。なるほどね、わかるよ。

でもさ

 

 

 

 

いや、逆に好きっていう人見たことあるっ!?

 

みんななにかしら思ってるから!!

あなただけじゃないから!

 

hey!!sey!!

you are not alone!!

 

 

そもそも人間としての常識

日本人の社会性を混合するな。と。

 

人に配慮する、とか

目上の人を敬うとか

 

「あ、これ(雑用)自分やりますよ!」

 

って別に日本社会がそうさせてるんじゃなくて

 

普通に自分が気がついたら自分でさささっと動くだろ。

これって別に日本人とかじゃなくて

人間としての常識だろ!

 

 

え、その常識がそもそも

日本社会によって作られたものだって?

 

 

じゃあ知らん!!

 

でもあなたを含めて俺も日本人!!

日本社会に育ててもらったんじゃい

いろんなものを享受してきたんじゃい

 

 

 

 

えーっと

そろそろ

やめとかないと

なんかどんどん嫌われていく気がするので

もうやめとこうかな。

 

そんな最後に

この曲をおくります。

 

クレイジークレイマー。

 

 

youtu.be

「それだけのことで、それだけのこと」のこと

一滴の雫が

水面を揺らす。

 

それだけのことなのに、それだけのことだった。

 

そういえば

ミュージシャンになるって言っていた

あの先輩は結局東京に出ていったのだろうか。

僕は今でもあの曲を聴いているのだけれど。

 

そういえば

僕から5万円借りてそのまま消えた

あの人は今もちゃんと生きているのだろうか。

やばいとこから金借りて、

僕に連帯保証人になれって言って来たり、クレジットカードを作らせて、そこでキャッシングさせようとしたあの人は今もまだ汗水垂らして借金を返しているのだろうか。

僕は今でもあの人に感謝しているのだけれど。

 

そういえば

僕に毎日を充実して生きることの難しさを教えてくれたあのコックさんは

今もどこかで美味しい料理を作っているのだろうか。

僕は今でもあの人に食べさせられまくって太ったことを根に思っているのだけれど。

 

そういえば

あの人は今、どこで何をしているのだろうか。

思い出すことも稀だし、思い出してもすぐに消える。

そんな人の中で僕は生きているのだなぁ。

そして、「あの人は」という枠の中できっと明日も生きていくのだろうか。

 

一滴の、

たった一滴の水滴が水面を揺らす。

 

それだけのことで、多くのことを僕に思い出させる。

 

いろんな人の顔や声、暑かったこと寒かったこと苦しかったことや幸せだったこと。

そして、におい。

 

波紋のように広がって、記憶を揺り動かして、そして何事もなかったかのように

静寂に包まれる。

 

それだけのことなのに、それだけのこと。

 

あの日の僕はどうすればよかったのだろうか。

あの時の僕はどんな気分で生きていたのだろうか。

あの僕はあの日の誰かときっと楽しくやっているだろうか。

 

不安定に震える水面を見つめてそんなことを考える。

そして消えていく顔、顔、顔。

 

まぁいいか。そんなことは。

だってそれだけのことだし、それだけのことだから。

 

 

 

 

 

(ちゃんと書こうと思った時の)

 

「文章を書く」

きっかけは僕には二つあります。

 

一つはものすげー量の言葉が雪崩のように頭になだれ込んできて

でもその一つ一つがとてもか細くて

流れ星のように現れては消えて、一筋の痕跡だけをうっすらと残して行くのです。

 

そういう時にその痕跡を拾い集めて紡いてどうにかなにかの形にする、

そんなパターン。

前にちょこっと書いた原爆っぽい話は

いろんな言葉が

すげーーなだれ込んできて

おい、きくち。どうにかしろ。バラバラになった仲間をどうにかして集めてくれ。

そんなことを僕に頼むから、

どうにかこうにかした感じです。

 

もう一つは

「映像」これまた急に映画のワンシーンのような映像が

一瞬ぐわっと頭に現れてなんともいえない寂しいような嬉しいようなくすぐったいような

そんな気持ちにさせるの時があります。

そんな時に何か書こう、と思うのです。

 

 

きっとこの映像は、自分自身を形容させる言葉を探しているんじゃないか。

そんな気さえがする時があります。

 

だから適当に自分の脳みそから愛すべき欠点だらけの言葉辞典を開いて

なにかピタッとハマるものがあるかどうかを探してくっつけてみる。

 

そんな感じです。

 

冒頭になんとなく書いてみたのは

最近ずっと頭の中に真っ暗な湖みたいなところに

水滴が落ちていく映像みたいなのがあって、

それが頭から離れなくて。

なにか言葉を探していたら

思い出という言葉がぴったりハマるじゃないか。という結論にいたり

言葉を紡いでみたのです。

 

僕はこんな感じで文書を書きます。

不思議なことに言葉にして書いたら

すっと頭からその言葉の流れ星や映像は、言葉たちは消えて行くのです。

 

まるで幽霊が言葉というお供え物を手にして満足して消えて行く。そんなイメージがぴったりハマるかと。

 

あ、ちゃんと文章を書くときはね。

それ以外の時は一切何も考えないし、適当だし、雑。

だから書いててとてもイライラするし、すっきりしない。

それでもそういうイライラするような文章を書くことも時には大切なのだと

適当に言い聞かせてるのです。

 

 

僕はこうやって

文章を書きます。

 

それがうまいとか、下手とか、

気取ってるとか、ナルシストだとか、

そういう次元の話は置いといて、

 

僕はただ、文章をこうやって書いている

 

それだけのことで、それだけのことなのです。

 

 

「大きな子どもになって思うこと」のこと。

こんにちは。

ご存知きくちです。

断言します。

くっそつまらん文章です。

だけどまぁ、次へとつながる布石だと思ってくれればいいなぁと

一応残しておこうかと。。。。

 

 

今朝、いつも通りに起きた時、

そういえば今日、担当しているクラスの授業はイベントで中止だったなぁ。。。

(他の学年は授業あるけど。。。)

と思って。。。

なんだかいけないことをしている罪悪感と背徳感を感じながら

 

アラームを1時間だけずらして

もう一度寝たわけです。

そう、俗にいう、二度寝です。

 

ボクが生きているこの世界では「禁断の果実」とされ

アダムとイブもこの二度寝によってなんだかいろいろあって

「あれーなんか気づいたら地上に落っこっちゃったよ〜」

って言ったとか言わなかったとか。

 

 

それはさておき、

普段より1時間遅く家を出ると日差しがまぁ、眩しく、なんだかその景色を見てたら

最近歳をとったなぁ。。。と思ったのです

理由は知らない。でも大抵のことの理由なんてどうでもいいこと。

 

 

歳をとること。月日が流れること。

今日はそんなお話をしようかと思いまして。

1時間遅刻した上にすぐにパソコンをいじりだしたわけです。

 

 

もう少し体が小さかった頃の僕からすれば

なんというか今の自分の歳が25とか26とかってまぁ、信じられないわけです。

要は社会一般的に言って大人なわけですよね。

 

あの頃の僕にとって大人ってのはマジですげー存在でした。

なんていうか、お金は財布から無限に出てくるし、買い物行っても、普段僕らが買うものより10倍くらいする値段のもの買うし、仕事バリバリだし、世界の全てを知っていて、夜遅くまで起きてるし、そのくせ朝自分より早く起きてるし、、、

 

完璧やん。大人ってすげーやん!なんて思うわけです。

しかーし。

自分が少し大きくなってから気づく。

 

あれ、これってもしかして幻想だったのか??

 

今日はそんなアルアル紹介。

 

 

その1

「大人は朝、自動的にかつ優雅に起きれるわけではなかった」

 

いや、これさぁ、なんていうか当たり前だけど、

でも子ども時代からみたら大人って朝にめっちゃ強いイメージあるやん。

 

だけど実際は朝起きんのめっちゃしんどくない!?

昔はさぁ、大人の朝って、、、

 

アラームより先に、というかアラームなんてセットする必要なく、

日差しが窓から差し込み、小鳥のさえずりが聞こえ、目を覚まし、

「ん〜」とか言って体を伸ばしてベットからスルっとおりて

顔を洗って「あぁ、すっきりした」なんて思って

気づいたら食卓にはバナナやパン、そしてコーヒーが湯気を立てて

ボクを待っていてくれて。。。(ちなみに食卓の机は木でできている)」

 

みたいな朝じゃん。

 

でもさ、

実際って

 

アラームよりも先に叫び出す鶏の「コケコッコー」に

うるせぇ!マジで!静かにしろぉ!アラームの時間まで寝かせろ!焼き鳥すんぞ!

と思いながらギリギリまで寝て、

アラームなったら、もうあと10秒だけ目を瞑らせてくれ。

という意味のない懇願をし、

「ぐ、ぐぎぃぃぃ」と歯を食いしばりながら朝どうにか起きて

朝飯?いらん。つか時間ねぇ。タバコ吸ってさっさといくべ。

 

って感じじゃん。

 

つまり、大人になるということは

朝気持ちよく、起きれるようになったのではなく、

起きなくてはならないという責任によって起きざるを得なくなっている。

これが正解。

まぁ、欲望(自分)と、仕事(社会)のバランスを取れるようになってきた。

といえば聞こえはいいんですが。

 

あとちょっと前に書いたけど、

寝坊はキリスト教の原罪に認定すべき。

 

その2

大人は何でも知っているわけではない。

 

これさぁ、最近よく思うんだよね。

自分もそうだし、友達と話していても

話している内容ってあれ、意外とくだらないこと多いなぁ。。。って

やれ、

現代社会におけるIT革命がもたらす日本の福祉へ影響とその展望」

みたいな話をするわけでもなく

「え、あの人って出身東京だったのー?知らなかったー!」

 

みたいな話の方が多い。

いや、高校生、大学生と変わってないやん。

 

そして、日常生活でもよくミスをする。

もの落とす。こぼす。日にちや時間を間違える。

そんなのって子どもの頃見ていた大人にはあり得ないと思ってた!!!

でもめっちゃするやん!自分!

 

その3

お金は無限にない。

 

子どものころ、親の財布ってのはそう、まるで4次元ポケット。

いくらでも出てくる。そしてなぜかよくわからんけど

カード一枚

ぴっ。

これで万事解決。

大人すげー!

 

ちなみにボクは中学生の時、多分初デートかなんかで

女の子に

「100円ってすげーよな。なんでもできるよな。10円10枚分だぜ!うまい棒10本買えちゃうし、やばいよな!?それに1000円札っつったら100円の10倍だぜ!もうやばいよな!やばいよな!!!本当にやばいよな!!!!!」

 

と熱く語ってめちゃくちゃドン引きされたことを記憶している。

 

さて、ちょっと大人になって思うのは、

お金はもちろん無限ではなかった。

 

収入は増えた。

でも支出も増えた。

金額は変わっても収支の割合は変わってない気がする。

そして買うときも、

あれ、こっちの方が安い。。とか、本当に必要か、、

みたいに意外と値段きっちり見ている。

まぁ、ボクがボランティアだからかもしれんけど、、、、

 

 

その4

バナナは1回2本が限界

 

これ。

一度でいいからやってみ。

バナナ1房買ってきてみ。

目の前に置いてみ。

さーたーべよっ!ってつぶやいてみ。

いける気するから。

でもな、

 

1本目 もぐもぐ。あー久しぶりに食べるとうまいなバナナ。うん。すげーなバナナ。

もう一本いったろ。いくらでもいけるわ。

 

2本目 ん〜。なんだろうなぁ。うまいんだけどこれ、あれ、なんだろう、もういっぽ・・・ん?なんか体が拒否してる。。お腹はまだ空いているのに、なぜだろう。バナナだけはダメだ。と人間に備わった防衛本能が囁いてる。。。

 

ってなるからこれまじで!

 

やってみ。

 

 

。。。

やっぱりあれだな。

暇つぶし(冒頭にも書きましたが仕事中です)

に書くとくっそつまらない文章になるな。

司馬遼太郎いわく、

 

文章を書くということは

水蒸気を圧縮して一滴の水滴を生みだすこと

であると。

(多分こんな感じのことを言っている)

 

なるほど。だとするならば今日のボクは垂れ流しているだけで

一切何も生み出してない。

 

うーん、やっぱりそんくらいガツッと書かないと

書いてても面白くない。

 

ということで次はもうちょい真面目なのを書こうかなぁ。

 

そうそう

前々から書きたいと思っていることがある。

それは

「ボクにとって文章を書くこととは如何なるものか」

ということ。

自分で気になる。

どうやってどうして文章を書いているのだろうか。

改めて振り返りたいものですな。

 

でもきっとこれを書くのはすげー大変なんだろうなぁ。と思って

なかなか手をつけられずにいるわけです。

 

まぁ、気が向いたらかいてみよう。

 

「生きるということ」のこと

 

ハッと息を飲む、そんな風景がある。

頬を伝う涙にふと気づく、そんな言葉がある。

世界が止まってしまう、そんな音楽がある。

 

僕はどれだけ出逢えてこれたのだろうか。

僕はどれだけ共有できてきたのだろうか。

 

まだ見ぬ景色に、頬を伝う言葉に、回り続ける世界に

出逢えなかった人たちは何を想うだろうか。

僕はその人たちに何を想うだろうか。

 

同情という言葉はあまりにも薄く、

共感という言葉はあまりにも脆く、

怒りという言葉はあまりにも陳腐で、

 

全ての言葉は爆音と獄炎の滝壺に流れ行く。

 

残された僕に何が残されているのだろうか。

 

 

それでも僕は

まだ見ぬ景色に恋い焦がれ、

まだ知らぬ言葉に涙し、

まだ聞いたこともない音楽と共に世界を旅する。

 

多分それが僕にできる精一杯のことで、

多分それが彼らにとっての償いで

多分それが、「生きる」ということなんだろう。

 

 

 

 

 

 

ふと最近、

とてつもなく綺麗な風景を見て、

それが偶然にも原爆の日で、

なんだか頭の中によぎった言葉の断片をつなぎ合わせたら

こんな感じの文章ができました。

 

これだけ。

それ以上でも以下でもない

ただ、これだけ。

 

Hay una palabra que batea su corazón

Hay una vista que se cuenta su lágrima pasando por su mejilla

Hay una música que detiene su mundo.

 

¿Cuántos lo he encontrado en mi vida?

¿Con quién lo he compartido hasta hoy?  

 

¿Qué se parece usted quien no ha encontrado

una vista hermosa todavía no sabido,

una palabra pasando su mejilla,

su mundo pasando constantemente?

¿Cómo me parece a usted?

 

La palabra “compasión”seria demasiado delgada,

La palabra “empatía” seria demasiado fragilidad

La palabra “enojo” seria demasiado trillada

 

Todas palabras se fluyen en el fondo de la cascada con explosión y fuego de infierno.

 

¿Que cosa queda a mi como una persona quedada?

 

Pero aun así,

Me enamoro de una vista que no he visto,

Lloro con una palabra que no he sabia,

Viajo a mi mundo con una música que no he escuchado.

 

Tal ves, esto es lo que puedo hacer todo el posible,

Tal ves , esto es lo que puedo hacer para ellos.

Tal ves , esto es lo que vivir.

Lo creo.

No es ni mayor ni menos.

 

Hace 73 años, una bomba atómica se tiró a Hiroshima en Japón por Estados Unidos.

 

Por casualidad, hoy he visto una vista hermosa.

Entonces, unas palabras incompletas vinieron a mi cabeza y

creí que quisiera conectarlas y expresar lo que quiero expresar.

 

No hay otra razón. Esto es todo. Nada más.

No es importa lo que aun que mi español sea equivocado.

Por que Cuando queremos expresar algo lo que queremos contarle en serio, no se necesita ninguna palabra en el mundo de nuestro.

 

 

「過ぎ行く日々に流れ行く葉っぱ」のこと

(写真はFBにて)
そういえば、
言葉も全然わからない国に飛ばされ
誰も知ってる人がいない村に飛ばされ、食べたことのない料理やフルーツに囲まれ、
扉がない家に住み始め、冷蔵庫もないから保存がきく缶詰ひたすら食ってカーテンを窓がわりにして、物は床に置くしかなくて
 
職場ではお前誰?何しに来たの?
日本?なにそれ?中国人だろ?なにか中国語喋ってよ。
と言われつつ、
ここで2年。仕事せい。
と言われたのが一年とちょっと前のこと。
 
それが今では、
言葉も少しはわかるようになって、この国の文化や地理もちょっとはわかるようになって
ちょっとしたジョークも飛ばせるようになって
好きな食べ物も、嫌いな食べ物もできて
トイレと寝室だけには扉がついて
冷蔵庫を手に入れて棚を作って
 
職場では
中国人から日本人、日本人から青年、青年からこうすけ
と呼ばれるようになって
一緒に仕事しようぜって言えるような仲間ができて
 
そしておととい昨日には
小さいし、たった計10時間そんな大したものではないけれど
同僚、近辺の学校の先生を呼んだちょっとしたセミナーを行うことができました。
 
このセミナーを行うにあたって、
僕たちボランティアがいろんなことを伝えていく、という目的を最初に立てて、仲間のボランティアを呼んで、よくあるセミナーにしようと最初は考えて、準備を進めてきたけれど、でもそれは、なんていうか、ある意味で自分のしてきた仕事や、同僚を信じきれていないことでもあったわけで。
自分たちでやったほうがそりゃ楽なんだけど、やっぱりなんか違うよなぁ。という気持ちはやっぱりあって
 
だからここで、一回信じてみよう。ということで
僕たちが伝えてきたことを現地の人がどれだけ学んでくれたのか、というのを僕の仕事仲間の口からパナマの人へ伝えて欲しい、という目的に変え、
半分以上は同僚に前に立ってもらって僕はたった1時間しか発表はしないことにしました。
 
そして1日目、同僚の二人がまずは1時間ずつ発表したんだけれど、
その姿を見て、あぁ、ここまで、気づかないうちにこんなにたくさんのことを学んでいてくれてたのか、ということに気づいて、
授業の内容もそうだけど、教材を貼ったり剥がしたり、物を手渡したり、そういう小さな手助け、参加者の様子を確認して、助言したりする、まるで僕たちが普段やっていることを当たり前のように、僕が指示したわけでもないのにやっている、そういうパナマの人の姿を見てシンプルにとても嬉しかった。
 
よく職場や、セミナーの場で、
日本とパナマ教育のシステムは違う、
日本人とパナマ人は違う、お前らは日本人だからできるんだよ。私たちはパナマ人だからできない。
 
そんな不満や言い訳のようなことをよく耳にするけれど、
できるじゃん。みんなすげーじゃん。僕よりよっぽど授業うまいじゃん。変われるじゃん。そういう姿を見て、
なんだか、嬉しくて僕は開始2時間で泣き教室を飛びたすという青臭い愚行をしでかしました。
 
 
もちろん来週からはいつものような
よくわかんない授業スタイルに戻っていく可能性の方が高いけど、
それでも授業を準備して、教材を考えて丁寧にゆっくり教えていく、という経験はきっと彼女らの心に残ってくれるんじゃないかな。と思っています。
3歩進んで4歩戻るかもしれないけど。
いいじゃん、一回でも3歩進んだのなら。
 
もうこれだけで僕がここにきた意味は少しはあったんだなぁ。と思います。
 
セミナーの準備の時に、
同僚を他のセミナーに連れってったり、違う小学校の知らない先生の授業を一緒に見学して、ここは僕たちの学校でもつまずくよねぇ。どうしたらいいかねぇ。なんて話し合いができたり、時折喧嘩もして
少しずつ
何も知らないから助けてあげる、教えてあげる対象
から
一緒にがんばろうぜって言える仲間になってきてる
そんな日々の積み重ねの一つの区切りが
おととい昨日と見れたのが嬉しいわけです。
 
来た時は
何しにきた?あ、なに?授業改善?じゃあよくして。うん適当に頑張って。
と言っていた校長に、
へいこうすけ、来年も残れよ。
という一声ももらえたり
(もちろん「嫌だ」と答えましたが)
 
そんなことを思うような、
こんなことがありました。
 
協力してくれたボランティアの皆さんには
本当に助けていただきました。
ありがとうございました。
 
 
なにも変わりばえしないように映る日々は
それでも確実に過ぎゆきながら、
そして着々と何かしらの変化を僕たちにもたらしながら
ゆっくりと日々に流れていくのです。
まるで流れ行く川に浮かぶ葉っぱのように。
 
 
 
 

「ここ最近の(結局はことばのおもしろさの)」こと。

どうも。お久しゅうございます。

きくぼーです。

 

あっという間に前回から4ヶ月経ってしまいまして。

まぁ、いろいろと思うところ、考えるところがあったので

そのご報告を徒然なるままに。

 

 

1「文体とか言葉の選び方」

 

文体ってめっちゃ面白いよね。(文体ってのは、要は口調みたいなもん。かな。)

 

最近ね、スペイン語のシャーロックホームズの一節を読んだのです。

「Ella es siempre para Sherlock Holms la mujer」こんな感じ。

Holms まで直訳すると

「シャーロックホームズにとって、彼女はいつだって(いつも)」

ってなるわけさ。

 

んでそのあとのla mujer.

mujer ってのは女性って意味で

 

La ってのは英語で言う the とか a なわけさ。the なのかaなのかはもうわからんから聞かないで。とにかく冠詞って呼ばれるやつ。

 

まぁ、それはさておき、

僕はこれをそのまま直訳して

「彼女はホームズにとっていつも一人の女性だった」

って読んだわけさ。

 

そしたらね、翻訳されているものをみつけて、なんて書いてあるのかなぁっておもったら

 

*シャーロックホームズにとって、彼女はいつも『かの女』であった*

 

ってあるわけ。(引用とかはごめん。めんどくさいからはしょる。)

 

か、「かの女」!!??なにそのうるとらC の訳し方!

 

「この」でも「あの」、でも「一人の」でもなく、「かの」!?

もうね。天才か、と。

 

仮に訳しが、「一人の女性だった」だとしたら、

ふーん。あ、そう。モブキャラね。小学校とかで鬼ごっことかすると必ずいた

通称「ぶどうくん」(なんかそういう子どもの通称あったよね)。

 

いてもいなくても同じやつで、基本的にスルーされるやつ。まぁ、要するに僕。

 

 

って感じにスーッと流れるけど

 

「かの」ってなったら、え?彼女って誰!?

ホームズとなんか関係のある人なんですか?

え、誰?何?とか気になりだして

一気に物語の深みが増しますやん〜

となったわけです。

 

いやぁ、言葉一つの選び方ってむちゃくちゃすげーなと。

この言葉しかない!

ってやつをピンポイントで突いてくるんだから本当にすげー。

 

まさしく、

言葉を「知っている」のと「分かっている」の違いよね。

 

「かの」って表現を僕は「知っていた」けれど、

その言葉が持つ意味や深さを僕は「分かっていなかった」

そういうことです。

 

 

ということで

その2

「文体」

 

文体ってさ、すげーおもしろいじゃん。

なんていうか、この人っぽいナァーーー!!

ってやつ。口癖に近いと言うか、

みのもんただったら

「ふぁいなるあんさー」

だし、

わだあきこだったら

「あの鐘を〜〜」(違うか)

だし、

タモリだったら

「いいともー」

だし(実際に彼は言ってないけどね、フる方だけどね。)

 

まぁ、それはいいとして、

この人っぽいなぁ。。。を全力で出してくる小説家といえば

村上春樹でしょう。間違いなく。

 

もうね。

何回「簡単な食事」

を取る気なんだと。

何回「よくわからないな」

とつぶやくのかと。

どんだけ主人公根暗やねんと。

比喩がすごすぎてもうわけわからん。

 

みたいなね。

 

つまりその人の特徴があるわけです。

 

ということはだよ。

僕がその特徴をコピーすれば

村上春樹っぽく文章をかけるってことなんじゃないかと!

おもいまして

村上春樹っぽく書いたのがこちら。

 

ワード一枚分くらいを0から考えて書いて2時間くらいかかったわ

(なにかをみながら書いたのではなくて、そういえばこういう特徴あったよねぇ。。と思い出しながら書いてるだけだからまぁ、いろいろ許してファンの方。)

 

 

彼にとって食事の時間は苦痛でしかなかった。彼は食事に特に興味もなかったし、ただ毎日の儀式として淡々と行われるものであった。だから彼はいつだって簡単な食事しか取らなかったが、特に不満を感じることもなかった。

 もっとも、彼は食事だけでなく、生きることそのものに対しても無関心であった。彼にとって生きるとは河川敷に座って流れる川を眺める行為と同義であったし、ただ穏やかに過ぎ行く流れを見ることが彼にとって生きるということだった。情動や焦燥は彼の位置するところから生きることを挟んで対岸に位置し、彼の感心は、ただ川の流れに逆らわないように身を任すことにしかなかった。

 だから小学校2年生の頃に、母親がそろばん教室に通わせたがった時も素直に頷いたし、母親の満足する成績を取るようにしていた。また、先生やクラスメイトも彼にとっては流れを淀ませる要因でしかなく、さざ波を立たせないようにと3問に1問はわざと間違えることもした。

 もちろん彼にも性的な欲求はあったし、大学を卒業し、今に至るまで何人かの女性と性的な関係を持ったこともある。しかし、最後には必ず女性から、彼の生き方に対する暴言や皮肉を言われ、別れを告げられるのが主だった。時には何も言われていないのに、違う男性と肩を組んで街を歩く彼女を見たこともあった。それでも彼は特に何も思わなかったし、ただいつものように流れる川をずっと眺めているだけだった。

 だから姉が死んだと聞いた時も特に驚きもしなかったし、ラジオから聴こえてくるニュースとなんら変わりなく彼の耳に響いた。

 受話器越しの母親の声はいつもよりも甲高く、電話線を通じて唾液が彼の耳にかかるのではないかと思うほどだった。しかし、彼にとってその電話は別に煩わしいものでもなかったが、取り立てて彼の感情を揺さぶるものでもなかった。ただ冷静に、葬儀のことや、姉の家の引き払いなどの事務作業を滞りなく行うための段取りについて彼の頭は精力的に働き始めていた。

 「とりあえず一回落ち着いてからまた話そう」そう言って受話器を置いて、台所へ行き水を一杯飲んだ。彼にとって姉の死や、彼女の浮気も、ただ木の葉が川に流されることとなんら変わりのない日常に過ぎなかった。

 椅子に座り、これからの段取りについて思いを巡らせているとドアのチャイムが鳴った。彼はいささか怪訝な顔をして玄関を見つめた。おかしいな。この家の住所を知っているのは家族だけで友人は職場の人間には教えていない。それにNHKや新聞の集金は全て振込にしているし、宅急便が届く予定もない。したがって、この地球上に誰一人としてこのドアのチャイムを押す必要性がある人間はいない。居留守を使おうかと思ったがもう一度チャイムを鳴らされるのも不愉快だし、日を改められるのも不愉快だった。気だるそうに立ち上がって玄関へ向かう。そのタイミングを見計らったかのように、姉の声が響いた。まるでこの世界からあらゆる境界線が消え、全てが混ざり合ったかのように、脳内に直接語りかけてくるようだった。

 長いこと使ってなかった心臓が急に仕事を思い出したかのように血圧を上げ、彼の血管の流れを早め、自分の存在を確認するために鼓動を彼の身体中に響かせた。

玄関までの距離は3m程度に過ぎないが、彼にとってはドアまでの一歩は、まるで今まで眺めていた川を横断し、対岸に進むことのように感じられた。川の水を吸ったかのように彼のジーパンは久しぶりの汗で湿り始め、その足取りをさらに重くした。だが、彼には一歩、また一歩と進む以外の道はなかった。

 

 

こんな感じかなぁ。。。。

どうどう?10人に一人くらいは

「あれ、村上春樹ちょっと体調悪いけどなんか書いたん?」

くらいには取ってくれるんじゃないかと。

 

以下、キクチ的解説。

 

ポイントはさ、

主人公がちょっと変わっていて、頭がよくて根暗なこと。

あとは、とりあえず比喩りまくること。といっても実際にやってみるとむちゃくちゃ難しい。

入れまくると、文章の流れが悪くなるし、ぎこちなくなる。

やっぱりスムーズに違和感なしに比喩を入れるってのはすごいことだと実感。

それはさておき。

 

さて、比喩の中で、僕的に意識したのは

「川」とか「生きる」とか「感情」を並列において絡ませること。

後半に、主人公が今まで無関係であった感情とか生きることに近づく描写をしたわけですが、

つまり、今まで生きる=感情は川を挟んで向こう側にあって、

姉の死、または生存によって、その川を渡らざるを得なくなる。

そして川を渡る=生きること、感情に起伏に近づく、んで時に川の水と感情である汗がリンクする、といったところを意識しましたわけです。

 

あと

主人公の性格や、物語の静けさのため、

淡々と薄暗〜い感じで物語が進みそうだったから

姉の登場というミステリー風味を加えてみました。

 

それと

だいたい幼少期の話が出てくるよね。村上春樹

んで、だいたい無口でちょっと賢い。いじめられはしないけど、いじめもしない。

親の言うことをよく聞く。そんなイメージがあったのでなんとなくそろばん教室のくだりをいれてみた。(ちなみになぜそろばん教室かっていうと、英会話教室みたいなオシャレなやつより、地味な方がより村上春樹っぽいし、実際に僕が通っていたから。)

 

あとは女性の話、だいたいの主人公はモテモテではないが、基本的に女性にすかれる。

そして経験もある程度もっている。

でも、彼女に嫉妬やら執着は決してしない。というのがデフォルトだと思いましたので

このくだりも入れてみた。

 

あと、なんかあった時、だいたい水道水をコップ1杯から2杯飲む。

もしくはワインをちょっと。

(これけっこーあるあるだと思うんだけどなぁ。。)

 

まぁ、こんな感じかなぁ。。

さささっと文章に起こしてみたから幾分かの稚拙さが散見されるでしょうが

まぁ、それはご愛嬌ということで。

 

でもあーあるある!

って思ってくれたらそれでいいのです。

 

 

本当はね、

この文章をベースに、他の小説家の特徴をつかって書いてみたらどうなるんだろう

ってとこまでやりたかったのさ。

例えば森見登美彦のあのクソ天才的な言葉遊びのギャグセンスとかでやったら

一気に雰囲気変わるんだろうなぁ。。。って思って。

あと三人称から一人称にしてみたらまた見えてくる世界観がガラッと変わるんだろうなぁ。。とか

 

それが面白そうだから今回のブログを書こうと思ったんだけど

もうつかれたし飽きてきたらからいいや。

 

要はね、

言葉の使い方とか、文体ってめっちゃ面白いよね。

というかやっぱり言葉で遊ぶのとか、

文章を書くってのはクソほど面白い。

 

ってことを最近思ったんだよ。って話でした。

 

ちゃんちゃん。

 

近況をなんにも報告していないけど

そんなことはどうだっていいもんね。

 

「古きを知り、新しきを知る」こと

こんにちは。

11月のきくぼーです。

 

ある人は言う、

 

人間には、ある能力が備わっている。

 

それは、

「過去を振り返り、そして、先を見通すことである」

 

 

なるほど、

確かに人は、反省をする生き物である。

常に、先人に歴史に学び、そして明日を見通す。

過去を反省し、明日をつくる。

 

言ってしまえば、

今日の自分は過去の自分と明日の自分をつなぐ存在なのである。

くどいが、人は過去を振り返ることができる。

過去現在未来。

この全てを「僕」という存在が貫き、在る。

 

だがしかし、(これ、誤変換すると駄菓子菓子になるね。糖尿になっちまうよっ!!)

人はなぜ過去しか振り返れないのか!!そもそも過去を振り返るってなんやねん!!

という疑問にお困りのあなた。

わかります。その気持ち。

 

かの有名なハイデガーの著作である「存在と時間」によれば、

「存在する」ということは時間的な制約の中で在るのである。

すなわち、生まれて(過去)、  死ぬ(未来)

そしてその両者の存在を認めた上でようやく僕(現在)が存在するのである。

つまり人は死(未来)を意識して初めて生きるのである。

 

(・・・たぶん。僕もちょっと読んだだけだからわかんない。適当なこと言ってるからごめんちょ。)

 

さすれば、過去を振り返り(過程1)、未来を作る(過程2)という行為には

時系列的なものはなく、両者は平行に存在しているのである!!!

 

したがって、過去を振り返ること、未来を想像すること、そしてそれを行う今現在に

時間的な差異はない!

よって過去も未来もそして今現在も一緒なんじゃい!!

 

振り返るとは、未来をつくることであり、

そしてそれは今を生きることなのです!!

「ふんいき」も「ふいんき」も、もはやいっしょなんじゃい!

ばばーん。

 

 

はーい。

ということで、僕が書いた、かつての記事を振り返り

きゃー!青くせー!!はずかしいー!中二病ーー!!

というなんともむず痒い気持ちを存分に味わおうという

 

みなさんお待ちかねの本企画。えへへ。

 

あーーゾクゾクするなぁ〜こわいなぁ〜

絶対後悔するよねぇ〜でもみたいねぇ〜

(ふゅーちゃりんぐ稲川淳二

 

なんだろう、この感覚

これってさ、こう、クツとか髪の毛とか、脇の匂いとか嗅ぎたくなるのに似てる。。。

 

うわぁーーくさそうだなぁ。。。

いや、つか、臭いよね!?

うん絶対臭いよね!?ね!?

 

あーーー!!でも嗅いじゃうーー!?

 

。。。

あーやっぱりくせー!!

むふふ!!ふへへへ!

 

というあの人間特有の特殊行動に似ているよね。

 

・・・え、僕だけ?

 

 

さて、いってみよう。

 

まずは記念すべき最初の記事。もう四年前ですって!!わぉ!!

 

tokotokok-k.hatenablog.jp

まずは色々と訂正。

まず保育園じゃない。幼稚園。もっと言うなら東立川幼稚園。

 

あと、笑っていいとも!のあとは、キッズウォー→大好き五つ子だった気がスル。

 

適当なこと言ってばっかりですね。

いちいち訂正するのもめんどいからもういいや。

まぁ、脚色して、美化しているけど、

あながち間違いではない。

(でも実際はもっとこう鬱々とした少年時代だったよ)

 

ただ、意外といいことも言っている。

 

「自分の生い立ちをなんとなく振り返ってみるとなんだか不思議な感覚になる。

『自分』がいつの間にか『他人』という枠組みにいて客観的に見てるような。

そういう感覚に。まぁ『過去の自分」』はやっぱりもう別人なのかもね」

(本文より)

 

そうまさにそれよ!

ハイデガーの言うように、過去の自分は平行に、独立して存在しているのよ!

ある意味他者として!

まさかこんなところに哲学の片鱗を残しているなんて!さすが!

つか四年前に「他者」とか「枠組み」とかちょっと難しい言葉よくつかってんなぁ。。

ふむふむ。

 

・・・

・・・はい。

次行こう。

 

じゃあ次は

死ぬほど恥ずかしくなる中二病炸裂のやついってみよう。

 

中二病部門第一位

 

tokotokok-k.hatenablog.jp

 この痛さたるや異常。

恥ずかしさたるや異常。

(ちなみに「カメラのこと」も同列一位。こちらもかなり。あいたたた。)

 

なにこれ。はずかしーー!!きゃーー(チラっ)

 

いやいや、ただの夜更かしが好きな中二だから!!

でも、やはり自分が書いたからなんとなく気持ちがわかる。

うん。夜はいいよね。相変わらず夜更かし好きです。

 

これはもう深く検討せずに

さっさと次行こう。HPがなくなる。

 

じゃあ次は

ははぁーー時代を感じるねぇ!でもあるあるだよね!!

 

懐かしい部門一位

tokotokok-k.hatenablog.jp

 これさぁ、、僕的にはかなりあるある満載なんだけど。

今、僕より若い人達って知ってんのかなぁ。。

 

THEメール世代。

 

すげードキドキしてたから!好きなことメールする時!

マジで頭使ったよねぇ。。

 

スタンプなんてごまかしもないし、既読なんて機能もないし、

でもそのぶん、つながり感みたいなのは強烈にあったよね。

んーーー懐かしいなぁ。。

あるよね!?あるよね!?共感するよね!?

 

。。。まいっか。

 

じゃあ、次は個人的に面白いと感じて好きな奴。

手に汗握る部門一位

 

tokotokok-k.hatenablog.jp

 いやぁ、この日はマジで焦った。

死ぬかと思ったよ。いや本当に。

つうかあの日の僕にいいたい。なぜに寝坊した。

なぜ9時なんかに起きようとした。無難に11時に起きてゆうゆう行けばよかったじゃん。

あとJICA.なぜに推奨扱いのくせに、期限ギリギリで必須ですなんて言うんじゃい。

(訂正:結局僕がPAに居たのは13;15分。神戸行きのバスが1:45発でした 確か)

 

はい次。

次はね、我ながら本当になにをこんなに余裕かましてるの?と思うくらい

のらりくらり記事を書いている自分に腹がたつこの記事。

ハラタツ部門第一位はこちら。

 

tokotokok-k.hatenablog.jp

いやぁ、本当に懐かしい。

マジであの時修論が嫌すぎて、JICAを理由に自主退学できるぞやっぴーー!

とか思ってたのになぁ。

思えば一年前。。。え、まだ一年前??もう記憶から消したいんだけど。

つかあの時の自分、記事書く前に論文書け。

 

 

じゃあ、次は真面目部門第一位

。。。これはね、もうごめんなさい。二つ載っけさせてください。

なんとなく、こう、二つで一本て言う気がするから。

 

tokotokok-k.hatenablog.jp

これは本当にいい経験になりました。

ひょんなことから紀要論文書かせてもらって

マジでヘトヘトになりつつも、修論より真面目に頑張って

本当に充実感を味わえて、あぁ、生きててよかったなって思えた日々でした。

そして、少しだけ自分に自信を持てて、自分を褒めてあげたくなった。そんな話。

(ちなみに論文のURLは下記に載せるコミ障の記事に載ってます)

 

もちろん今でも分数のできない小学校教師みたいなことしてます。

 

でもそれでいいよね。

 

 そしてこれ。

tokotokok-k.hatenablog.jp

この出会いはマジでデカかった。本当に自分が自分でよかったと思えた。

ちなみにこの家族とはあの後ご飯何回か行ったり、大学に遊びにきてもらったり、

今でも連絡取ってたり。つながりがあります。

本当にこんな自分を必要としてくれてありがたいです。感謝です。

 

 

さて、もう飽きてきたでしょう。

僕もです。

こう言うのって最初は楽しいけど、だんだんダレてくるよね。

 

と言うことで、最後に今までの僕の記事の中で

僕が勝手に好きだと思うやつ。

第一位は!!

 

 

tokotokok-k.hatenablog.jp

っっっ やっぱこれだよねぇーー!

なんていうか、ネタ性と真面目さとテーマのキャッチーさと僕のやる気が

見事にマッチしてると思いません?

もう、こう言うのは書ける気しないなぁ。。

これはマジで頭使ったわ、文章こだわったし、下調べに2時間、

執筆に2〜3時間くらい使ったぞ。いやマジで。

何回読み返したか。

 

 

・・・・

はい。もう振り返りはおわり。

振り返りなんてナンセンス。

 

ちなみに我ながらナイス妄想賞は引用しないけど「修士論文とポリポリピー」ね

前半のポリポリピーのくだり結構好き。後半はゴミ。

 

 

さて、あれよあれよと振り返ってみたけれど

結構ねぇ、いいこと、かどうかはわからないけど、

面白いこと書いてるなぁ。。と思います。うん。自画自賛

 

なんていうか、適当に書いたのもたくさんあるけど半分くらいは

結構時間かけて、構想練って、文章を推敲して、音の響きとかまで考えたりして

書いてるものあるもの。んでもって、なるべくおかしく心を込めて。

(実は頑張ってたりする。内緒だけど。)

 

いや、実はこの企画前からやってみたかったんです。

なんとなく。

でも、

こうやって過去の自分を振り返るって面白いなぁ。。

 

・・・

むむむむ??

振り返るとは・・?(冒頭へ戻る)

 

またねー。