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ことのこと。

思ったこと。感じたこと。自分の視点で自分の言葉で描いてみる。

「アルバイト」のコト

こんにちは。

8月になりましたね。世間で必死で働いてる方もいるなかで

僕はアルバイトをしています。

 

大学で教員免許の更新講習をやっているので

それのバイトです。

 

 

まぁ、仕事内容は1時間受付して

1時間出席チェック等々の雑務して

のこり5時間は読書と課題などなどの時間になるという

なかなか美味しいバイトです。

 

でもね

 

でもね。

 

僕が大学生(学部生)のころ、

それはそれはそれなりにアルバイトをしてました。

朝から夜中までって時もありました。

 

その時は稼いでやるー!って思っていたのです。

 

でもね

ある人に言われたのさ。

バイトってのは、稼いでるんじゃない。

自分の売っているんだ

 

みたいなことを。

 

僕は結構ショッキングでした。

そうかぁ。稼いでると思うとプラスしかない気がするけど

売っていると考えると少しマイナスも入ってくるというか

自分を時給いくらで売っている・買われている

そういうこと。

 

 

そこから僕はバイトしまくるのをやめようと思ったし、

のんびり暮らしていこうと思ったんです。

 

今のバイトも本当に暇でいいんだけど

でもその代償に売っている時間は少なくない。

 

1日のバイト代と

1日の価値

見合っているのかなぁ。。。と思うことも。

 

でも仕方ないという面もある。

だってお金がないと授業料も払えないし、

生活費も払えない。

 

そういうギリギリの

葛藤。妥協。納得。諦め。

 

そんな日々に生きているのです。

 

僕は働きたくないなぁ。

いや、それは多分家事とか、畑仕事とか、

サッカーとか、そういうのだったらどんなきつくても

多分、やっちゃう。下手したら給料が最低限でもやっちゃいそう。

 

逆にどんな給料高くてもやりたくないことは極力したくない。

 

甘いこと言ったっていいじゃないですか。

だって、みんなそう思ってんじゃないか。

 

答えはきっと奥の方。

心のずーっと奥の方

ヒロトさんも歌ってます。

 

 

とかいろいろ言いながら

思うんだよね。

 

結局

帰り道

100万落ちてたら

むちゃくちゃテンション上がるよね。

 

 

大学院生活。のこと

こんにちは。

とっっっっっっっっても久しぶりにブログを書こうと思います。

 

最後に書いたのが大学生時代で、

あれやこれやの間に卒業して、兵庫の山奥の大学院に入院しています。

 

同年代が働きだしました。

 

長野で僕におにぎりをくれ、

原付で車に喧嘩を売り、病院送りになり、

教師になるんだ!と沖縄を飛び出したものの

結局、教員免許は全然取れず、教師にならず

僕と様々な経験を積んだ彼は、

サラリーマン生活をしているらしい。

 

彼についてはまたじっくり書きます。

 

ま、なにが言いたいかって

時代の流れは早いですね。ってことです。

 

気づけば22歳と5ヶ月。

大人になりました。

子供の頃なんて自分が22歳になるなんて思ってもいなかった。

ずっと僕は小学生とかで死んでいくのかと思っていました。

ところがどっこい。もう22です。

 

あ、ちがうちがう。こんな話がしたいのではなくて、

大学院生活の話でした。

 

 

相変わらず僕は僕らしくやっています。

変わったところといえば敬語を使えるようになったこと。

 

でもそれ以外は僕のままです。

もちろん入学式は尖ったまんまで行きました。

マフラー巻いて私服で行って、

夏目漱石の三四郎を読んでました。

その結果あだ名が三四郎になりました。

僕の人生の中で一番気に入ってません。ふぁっくです。

 

院生室にこもるようになりました。

おかげで室長というあだ名がつきました。

僕の人生の中で割と3番目くらいで気に入ってます。

 

気がつけばもう7月。ちょっとずつ慣れて

友達も幾人かできました。ありがたいことです。

 

周りにはたくさんおもしろいやつがいます。

青年海外協力隊だったひと

記者だった人

教育に一切からんでこなかった人

そういった人たちといろんな話ができるのは

いいなぁ。と思います。

 

蜂がよく出ます。

僕が以前暮らしていたところでも蜂との熱い戦いが

繰り広げられていましたが、今回もまだまだ

蜂との関係はミツのままのようです(うまい)

 

教員採用試験、

みんな頑張ってます。

 

特に応援もしないですが、足も引っ張りません。

自分で頑張ってください。というスタイルは継続中です。

 

 

みんなこうやって将来のことのために頑張っていたり、

現段階で働いている人たちを見ると

すげーなぁ。と思います。

僕はまだまだ学生で、社会のぬるま湯、モラトリアムと比喩される

空間に身を置きます。もちろん年金も猶予です。

 

「どこでやるかじゃない。なにをやるかだ。」

これは僕の尊敬する人の言葉です。

その通りだと思います。

研究者の端くれの卵として

頑張ろうと思います。

 

おれのやる気は低気圧

これは、たいらくんの言葉です。

よくわかりません。

 

 

そんな感じで僕の日々は流れていきます。

淀んだり、増水したり、枯渇したり、

葉っぱが流れたり、ばしゃばしゃしたり

穏やかな流れじゃないかもしれないけれど

それでもどっかからどっかへ

流れていくのです。

 

それで

 

いいじゃないですか。

 

「仕事」のこと

あっという間に二ヶ月ぶりになりました。

さぼりました。すんません

  

さて、仕事についてなんですが、最近思うことがあるのです。

 

僕は今バイトをやめてまぁうだうだしてるのです。

まわりからニートかとか暇人だなってわいわい言われたりもする。

 

でもね、僕の生活は基本的に誰かのためにご飯を作って、掃除もしてる。

自分だけなら妥協してもいいんだけどちょいちょいといろんな人が来るからする。

誰かにあげようなんて思ってプリンやゼリーとかもふと作ったりする。

 

でね、考えてみたらこれってお金をもらってないだけで割と働いてんじゃないかと。

 

いや、これは単なる屁理屈を並べて自分を正当化しようとしてるんじゃなくて

もっと深い「仕事」について考えたいと思ってる。

 

仕事は誰のためにするのか?

 

という話はよく聞くかもしれない。例えば教師を目指す人は生徒のためだとか言うかもしれないし、他の人は自分の経験や学びになるかもしれないから自分のためとも言うかもしれない。

僕はどっちでもいいと思う。

情けは人のためならず

についても解釈が二つあるようにそれは自分なりの意味でいいと思う。

で、なにがいいたいかっていうと

正反対のことをいいながらも共通項があるよね

それは「〜のため」ってとこ。

つまり仕事とかそういうものはなんかの為にやってるんだということ。

自分でも家族でもどっかの誰かのためにする。いわばそれがやりがいってことにつながるのかもしれない。

そういうやりがいが無い仕事っては根本的に存在していないと思う。

しかしその人の意識でやりがいは消えたり、増えたりもする。

 

うーん

ややこしくなって来たから初心に戻る

 

つまり仕事ってお金をもらえばいいの?

 

機械のようにぼーっとただ、時を過ごす仕事と

お金はもらえないけど家族のためにせっせとご飯を作る

お母さんは仕事として認められないのか?

 

僕は仕事ってのはお金を稼ぐものとしてのモノではないと思います。

よっぽど主婦の毎日の仕事のほうがお金はもらえなくても価値がある。

 

お金よりも価値がある仕事。

そんな仕事をしたい。そんな風に向き合って行きたい。

今自分が目指してる職業にそんなふうに向き合えるのか日々模索中。

 

人生は急いでもいいけど焦るなって言いますけどその通りです。焦ったらもったいないぜ。

いろんな人の話や世界を聞いてみて、少しずつ選んでいきたい。生きたい。

 

すっきり。

 

 

 

「きまぐれ」のこと

チャリ旅で立ち寄った京都の大学。そこでやっぱり衝撃を受けた。

なんて楽しそうなんだろう。

タバコもバイクも車も

販売もギターも関わりもなんてフリーなんだ。

そういうのを通して

やっぱり大学って楽しくなくちゃ。と思った。

 

ということで自分の大学を考えてみた。

もちろん大学によってはルールも設備も環境も違うし、個人差があるからから一口にはいえないけど僕個人的にはあんまりおもしろくない。

教育学部しかいないし、みんな同じことやってるし。

 

なーんてことを思っていたけど

でも改めて考えてみれば面白いメンツそろっているよな。

音楽専攻がいて技術専攻がいて、数学から言語までいて

まさか教育学部のみという「それだけ」というものが捉え直すと「こんなに」にかわった。

いやぁおもしろい!

みんながそれぞれの味を出して共有してそれが循環したらむちゃくちゃ面白くなんじゃねぇの!?

音楽の人が歌を歌いだして、美術、技術がモノを生み出して、家庭科がおいしいもんつくって、言語が言葉を紡いで、数学、体育はなんかよくわからんけどのりに乗って

みんがそれを表現したらすげーワクワクするんじゃねぇかと。

 

あとは場だけ。

前置きが長くなったけど

ということでイベント(場を)を開く訳です。

 

あ、大学ってこんなことしていいんだ。

 

その単純なことが足かせになっているのではないか。

だから僕はこんなことをする。学務にも怒られる。

でも、やる。(ちゃんと許可ももらったよ。)

今は何あれ?となるかもだけど

だんだん日常化してきたら自然となにかをすることに抵抗がなくなって行くんじゃないかな。

そしたらきっと循環がはじまるのではないかな。

 

「0から1」

それがテーマ。

 

きれいな所にゴミは捨てないけど

ゴミが落ちている所には捨てちゃうでしょ。少なくとも抵抗は減る。

 

人は便乗するのが良くも悪くも得意でそれは集団心理が働くからなんだけども

ただ、一番最初に手を上げるのはなかなか難しい。

 

だから少しずつそういうのをおこがましいけど僕ができたらいいかな。と。

 

でもこんなカッコつけながらも

無理はしない。

気分が乗んなかったらやんないしめんどくさくもやらない。

義務感も感じなければ使命も感じない。

これで終わるかもしれないしずっと続くかもしれないし。

だって頑張る必要なんてないじゃない。金ももらえないしむしろ出費かさむし

 

楽しみたいの。それだけよ。

だから無理はしない。

 

だから

きまぐれ

なのさ。

 

 

 

 

「チャリ旅」のこと

どうも。旅の報告です。

スタートは長野市、ゴールが大阪。移動は自転車ということで実習終わって旅立ちました。

10日間で860キロ

 

 

三年前より体力、精神的にもつらかった。そんな旅の報告です。

 

出発初日は台風が過ぎ去ったその日に出ました。

夕方三時出発上越の方まで行きました。

 

到着は8時くらいだったかな。

偶然に偶然が重なり上越教育大学のソファーで夜を明かしました。

連れてってくれた四年生の学生といろいろ話して、なるほど

どこでも実習は大変なんだなと。

回ってくる警備員さんにも勉強ですか?お疲れさまなんて言われ、つい

えぇほんとに。教採が忙しくてなんて嘘をこきながら。

 

疲れからか、速攻で眠くなりすぐに寝る。でもソファーの狭さや、明るさで熟睡にはいたらず夜明けと共に起きる。(5時)

コンビニでカップラーメンを食べ、おにぎり食べ、ウイダーゼリーをのみ

すきやの朝定食を食いながら寝てどうにかこうにか。二日目に突入したのです。

 

本来ならば上越で相方と合流して共に目指す予定だった。

しかし、相方は直前までインドにいて、帰国日には台風でかえって来れず、

途中で合流しようという話に。

富山に行く途中の駅で合流!という話が、相方の寝坊により

結局富山駅まで一人旅。

意外と一人で走るのは寂しいもんで、道もよくわからずハイテクな機械も無く、

人に尋ねて、標識を観ながら、道に迷いながら富山へ。

朝早く出たおかげで、夕方4時には駅へ。相方がくるまでブラブラ、銭湯にも入る。

もちろんケロリンのオケがありました。

 

相方と合流して

富山大学へ寝に行こうとするが、閉まっており、学生に話を聞いてもやはり入れないとのこと。じゃ、テントで野宿ですね。ということで公園で夜を明かす。

 

朝、ついに石川県は能登半島に突撃。

しかし石川県は地獄の始まりでした。

 

 

まず、道が暗い。狭い。わかりづらいというチャリラーにとってのきつい道。

峠を迂回するルートを走ったんだが、仇となり、目的地までたどり着けず

途中で街を探すために人に話を聞いても

○○街にそこにコンビニとかお店ありますか?

あるよ確か一店舗。(石川県あるある:聞くときはまずあるかどうかの確認。)

          (あるある2:ついでにコンビニの店舗数が分かる。)

な、なるほど。ご飯食べる所あります?

もう閉まっているかな。(あるある3:8時をすぎると大抵すべて閉まる。)

そうですか。ちなみにどのくらいはなれてますか?

3、40キロかな。(あるある4:次の街がRPGなみに遠い。)

頑張ります。

 

石川県の田舎の方は、街灯もなく真っ暗。一歩間違えれば海にドボンなんて曲がり角もちらほら。

 

すこし泣きそうになりました。

 

三日目はついに先っぽの岬まで行きました。

どんな場所かは自分で確かめてください。ただ、10年間の寿命が500円で買えます。

 

 

能登半島をぐるりと回ります。

(あるある5:石川県の峠は小出し峠(僕ら命名)で少し上って少し下るが非常に多く、疲れる。)

 

輪島市を通り金沢めざす。

途中にゴジラがいます。

正直一番テンションあがった。

このルートでは国道249にひたすらお世話になる。僕らは三日間お世話になった249にお礼を伝えた。

(あるある6:最後のお別れは自転車を降り、手を振りありがとう249と伝える。)

 

金沢に近づくと大都会になる。(あるある7:あれ?こんなに人がここにはいるんだと変な錯覚を起こす。)

(あるある8:久々に女の子に会うとなんでかとてつもなくにやにやしてしまう。)

 

都会でも野宿を決行。(あるある9:都会になればお店もあって便利だけどそれに比例して寝床の質は落ちる。)

 

金沢から福井県に入るその最後の峠でついに相方のチャリがパンク(あるある10:石川県は最後の最後までサプライズを用意する。)

 

原発のある敦賀に着。(あるある11:原発のある街はやはり道路などがきれいに塗装されている。)

そのまま滋賀県に突撃。

琵琶湖のそばの高島市というところで夜を明かす

(あるある12:高島市ではすきやは並んで入るお店。)

琵琶湖は思った以上に汚くて泳ぐのはやめた。

 

京都イン!

毎年なんだかんだで訪れているこのまち。相変わらずいい街だった。

台風の影響はまだ残っていて、山のそばではマンホールから水が今でも溢れ出ていた。

 

京都では京都精華大学を見学。

すごかった。

喫煙、ポイ捨て、バイク、車で校内をビューン。

信大の二大タブーを18秒くらいで目撃。そして岩には自由自治の言葉が刻まれていた。

 

図書館には雑誌からDVDまでおいてあり、

ソファーに仕切りが合って個室状態でなんでも観れる環境に。

パソコンはたくさんあって、WindowsはもちろんMacもたくさん常備されていた。

すげー。

また、生協には画材道具などから、学生の作品まで売っていた。思わず買う。

 

そしてキャンパス内ではギターを弾いたり、

勝手にフリーマーケットをしていた。

なんてわくわくする所なのだろうと影響を受けた。

 

ゆっくり休憩をして、大阪に。

都会は迷路のようになっていて自転車では行き止まりに何回あたったことか。

そんなこんなで大阪に着。

観光してぐだぐだして

知り合いの車に乗っけてもらって長野に帰ってきましたとさ。

 

 

事細かに書こうとしたら面倒くさいので

印象に残ったことだけを挙げてみました。

 

でもこうやって改めて振り返ると

あぁ。いい旅だった。

 

「読む」ということ

後半アディショナルタイム

味方のスルーパスに反応し、裏に抜け出したFWがPKエリア内でファールを受けたが

レフェリーはシュミレーションと判断、警告がくだされた。

GKがすぐさまのロングボールを放ちカウンターに転じる

サイドハーフがトラップし、トップ下に預ける。厳しいチェックを受けるが、レフェリーはアドバンテージをとる。

オーバーラップした右SBがパスを受けすぐさまアーリクロスをあげ、FWがダイレクトボレーを決めるが、わずかにオフサイドラインを超えていた。

結果、勝ち点をお互いに1ずつ分け合った

 

 

 

ざっと適当に書いてみてもサッカーには多くの専門用語がある。

サッカーに詳しい人がみたら内容はわかるし、情景も浮かぶだろう。

しかし、未経験者でサッカーに興味のない人は何がなんだかわからないことだらけに映るだろう。

 

テクニカルターム、専門用語はごろごろしている。

 

 

文字が読める人は読むことができる。

しかし、理解はできない。

はたしてそれは「読む」ということになるのだろうか。

 

文字を読む

それすなわち理解するということにはつながらない。

それは素読にすぎない。

 

 

 

そんなことは日々、日常茶飯事である

 

 

さて、

今日、家庭科の被服学基礎の授業でそんなことが起きた。

それは「なかおもて」だからちがうよ。

「まち」を考えてる?

「たちめ」を丁寧に。

等等

 

数えきれないくらいに専門用語

というか普段なじみがない言葉が容赦なく襲いかかる。

 

結局どういうこと?

どうすればいいの?という本質的理解がされぬまま、言われた通りになぁなぁと作業は進む。

 

 

今日の教育現場でこのような光景はよく起きているのでないか。

 

教師(教える立場)は往々にして難しい言葉を使いたがる

否、それが、専門性の高い難しい言葉だと認識していない。

 

 

生徒にとってそれはフラストレーションにつながり、

教師にとっては説明したのにできないなんてというストレスにもつながる

(ん?ストレスとフラストレーションってなにがちがうのかな。)

 

 

でも、いくら説明されてもイメージ。想像。ができないとただの素読。

逆にイメージができていたら、つたない言葉でも伝わる。

そういう経験ないだろうか。

 

作業をしているときにイメージを共有できていれば、あれ、それ、これという日本語独自の表現が生きる。

 

 

そして今日の発見。

専門用語を説明するときには、

言い換えが必要で

同言語よりも他言語(往々にして英語)が意外と伝わるということ。

(なによりもシンプルに)

 

先に挙げた「たちめ」は

日本語で説明するよりも英語でばっさり。

断ち目=cutting line

日本語だと布をきり終わった端の線かな。

 

(ちなみに「まち」はスペースかな・・・?)

 

(「そとおもて」は感覚で言うとリバーシブル・・・

ちょっと違うと教授に言われたけど

日本語説明だと

完成時に袋をひっくり返すからあらかじめ生地を裏返しにし縫い合わせていく

というような説明を受ける。

よくわからん。)

 

 

 

ということである。

 

 

人と話していても、微妙なニュアンスを伝えるために

英語で伝えることは意外と少なくない。

 

 

考えてみれば妙である。

 

日本語特有の言い回しや意味を

説明するときに

他言語を用いる方が便利だということ。

妙だな。

 

なら日本語とは他言語との交互性が高いのか。

 

というわけでもない。

いやどうだろう。

 

日本語を英語ではよくあるが

逆はあるのか。

 

僕らは日本語ネイティブだからこそ起こりうる現象なのか。

 

うーむ

謎は深まるばかり。

 

 

 

教授とちょろっとそんなことを議論してたら

 

論文かこうかなぁとか言ってた。

 

すかさず、スペシャルサンクスに僕の名前を入れてね。

 

 

うん

抜け目ない。

 

 

 

タイトルとは違った流れになってしまった。

 

ま、

でも読むに関心があったら

外山さんの

 

「読みの整理学」

 

おすすめです。

 

 

 

「大学生活」ということ

実習が始まってきた。ということで一年続けていたバイトを辞めた。

 

自分にはこんなにもやるべきことやりたいことがあったのかと気づかされた。

 

バイトをするということは悪いことではない。いろんな経験やお金を得れる。もちろん経済的にしなくてはならなという事情もある。

 

しかしバイトは自分の時間を売っている。稼いでいるのではなく「売っている」ということを考えてみてほしい。

このニュアンスの違いが分かるだろうか。

 

 

学生の主は勉学であるということは言うまでもない。

しかしながら大学をモラトリアム(わかりやすく言うなら執行猶予)と捉え、最後のバカンスとばかりに存分に楽しむ人もいる。

 

フロムや、内田樹のいう

「自由からの逃走」というワードにピンとくる人は多いのではないか

 

小中高という束縛時代から解放された大学生の中にはその自由さ、奔放さに戸惑ってしまっているという話

 

小中高の教育とは決められたレールをどれだけ丁寧になぞれるか、辿れるかを求められることが多い。しかし大学の教育ではどのような道を描くかがカギとなっている。

 

しかし、それがどれだけ難しいことか。なぞることを求められてきたものに

いきなり描くことを求めることへの難題さがそこにはある。

そしてそういう教育を受けてきている青年に対して自己責任の名のもとに将来の道をほぼノーヒントで描かせる。

 

今日の大学全入時代という社会背景において望めばほぼ自動的に入れる大学という枠組みで青年たちは未来を創造し道を歩むことができるのだろうか。

そう思う人も多いかもしれない。

しかし、かつての大学像と今日の大学像を混合してはいけない。

時代は流れ、モノの価値観はうつりゆくものである。

今、多くの大学はかつての寺子屋や、最初の大学を生んだ動機を失っていることが少なくない。

それはそれでいい。

しかし重要なのはそういう時にどう過ごすかである。

もちろん、「こうあるべきだ」ということなど、多様化が進む今の時代にはミスマッチもいいとこである。

言うまでもなく個人の自由である。

 

しかし、その個人の自由はいったい何の土台に成り立つ自由なのか

何に向かっていく自由なのかは

自由を謳歌するものとして知る必要があるべきことなのである。

 

僕は個人的に

毎日の日々を人生最後の日だと思って生きているのか!?

とかいう類の言葉は嫌いである。

 

人生最後の日の過ごし方は人それぞれだし、

人生最後の日に人に説教して終わるような人間にはなりたくもないし、

人生最後の日を人から説教されテンション下げられて終わりたくもない。

 

 

大学の日々は天から舞い降りてきた贈り物でもなく

親であれ自分自身であれ誰かのお金で買っているものである。

 

モノの価値と金額は必ず歩み寄り値が決まる。

 

高く払いすぎてはだめ。

安く売りすぎでもダメ。

 

ちょうど良い値段で自分に後悔がなく、楽しく消費できればさえいれば

買い物(入学)は成功なのではないか。

 

何に価値を感じるかは人それぞれだが、

その自分が何を大事にしているかを知る。それが大事。

 

 

 

って大学について考えるの

僕大好きです。

 

脈絡も整合性もないけど

それでも僕は楽しい。徒然ってなんていい響きなのだろうか。

 

言ってること

考えること

日によって違うけど

今は散々よりみちして思考がぐるぐるしていいじゃないか。

 

そうか

ギャップイヤーもここで生きてくるのか。

高大接続もここにかかわってくる。

じゃあ何のために・・・・?

あ、哲学だ。

社会はどうとらえているのか。

うん、社会学。

 

やっぱ全部つながってんなぁー

 

たぶんね、踏み込んだらスゲー世界待ってんじゃないかとわくわくするね。

 

 

あ、わかった。(豆電球ぴかーん)

 

 

ってそうなる瞬間が来るのかな。

 

たのしみー。

 

 

 

久しぶりの投稿がこんなんですいません。