中南米のひまじん。

不登校→大学院→青年海外協力隊→パナマ=ひまじん。スペイン語勉強中。そんな暇でしょうがないひまじんが、意識高いフリしてなんかする。

山村留学のこと

僕は今長野に住んでいる訳なんですが。

 

でもこの前ふと思い出したコト、俺、実は長野初めてじゃないんだって。

 

さかのぼること10年前(たぶんそんくらい。小学校3年とか4年だもの)

 

学校へ行かずうだうだな僕に

親が、とりあえず山にこもってきたら?

とかいうノリで僕を家から放り出した。山村留学とかいうヤツ

 

 

新幹線でとおくまで。

 

ついたところは見たこともないような雪の量や、これ間違いなく凶器になりうるツララがたくさんあるところでした。

 

んで、

そこの全校生徒10人くらいの小学校に転校した(体験入学かな。)

 

住む場所は地域の子供が集まるような寮。

子どもたちが自主的に運営して自治を取るようなところ

一応教員みたいなのはいたんだけど

全部子供にやらせてたなぁ

 

いやぁ。

過酷だった。とりあえずひきこもりのダラダラ生活から一転、

朝6時くらいに起きて朝掃除して、みんなで朝ごはん食べて、学校へ行く。んで授業を受けて、かえって、お風呂入って、みんなでご飯食べる。

そして寝る

もちろん相部屋二段ベット二つ。

四人。

 

というような素晴らしい模範的な小学生の生活へと変貌した。

 

でも僕はなんか今一つなじめなくて。

お風呂もみんなでガンガン入るんだけど、僕は

みんなとは入りたくなくていつも最後に入って、そのおかげで晩御飯に一人だけ遅れて、またお前かよみたいな目で見られながら生活してた。

トイレなんてボットンで汚かったし、覗くと紙とウンコと誰かのスリッパが落ちてて

これ落ちたら死ぬな。なんて思ってビビって。

早く帰りたくて

こっそり泣いたりもした。

 

 

小学校は楽しかったかな。

毎朝行って

ちゃんと授業受けて

といっても一クラスに2学年合同(合わせて4人とかかな)で教員は一人。

そのせいか

東京より少しレベルが低くて

 

僕は生まれて初めて100点というものを取った。

はっきり言ってとてもうれしかったのを覚えている。

 

 

寮での生活態度もだんだん変わって

掃除や、それなりのコミュニケーションをとるようになったり、テレビを一緒に見るようになった。

といってもお風呂は相変わらず最後に一人で入るし

友達といえるような奴は一人もいなかったけど。

 

そんなこんなで最終日

 

最後じゃなくて最初に入ればいいんじゃないかという単純なコトを閃いた僕は

一番風呂。

 

のんびり使ってたら誰かが入ってきて

逃げれず共に浸かる。

 

そしたらガンガン入ってきて、教員も入ってきて

風呂場でじゃれだして、

隅っこにいたら、僕にもちょっかい出してきて。

一緒に遊んだ。

 

んでお風呂出て

 

食堂に入ると

風呂が一緒だったやつが「ここ座れよ」

って声かけてくれて

その生活で初めて人と話しながらご飯を食べた。

 

なんだろう。とってもうまかった。

 

それが最終日で

そして一番楽しい日だった。

 

 

お母さんが長野に迎えに来て

駅前で

そばを食った。

久々に会うお母さんとの食事は

恥ずかしくて恥ずかしくて。でもうれしくて

 

少しだけ大人になったね

なんて言われても

ニヤニヤしながら「うるせぇ。」としか言えない小学生だったのです。

 

 

 

そして

話は現在に

 

去年

教授と山登りに白馬に行ったとき

 

あれ。

見覚えあるなぁ。

 

と思ったら

僕があの日食べた蕎麦屋さんがあった。

 

 

ああそうか。あの時僕は白馬にいたのか。

 

なんか

すごく不思議な気持ちになった。

 

 

そして親にあわてて連絡とって

 

「ねぇねぇ!あの時行ったの白馬だったんだね!」

 

「そうだよ」

 

「今、一緒に食べた蕎麦屋さんを通ったよ」

 

「あらそう」

 

「懐かしいなぁ。今はどうなってんのかなぁ」

 

「あぁ。あそこはもう潰れちゃったよ」

 

 

なんだか

その一言で

あの時一緒にいた教員や、同級生、寮の人たちがみんな死んでしまったかのように感じた。

 

 

だけどみんな、きっとどこかで生きてるんだろうな。

 

僕が生きているように、きっと。