中南米のひまじん。

不登校→大学院→青年海外協力隊→パナマ=ひまじん。スペイン語勉強中。そんな暇でしょうがないひまじんが、意識高いフリしてなんかする。

カメラのこと

ついに買いました新たなカメラ

D300

それなりに高かった。

 

 

これからはこのブログも文字だけじゃなくていろんな写真を乗っけていく予定です。

 

 

さて、

こんなこといってる僕はどんだけカメラが好きかというと

 

実はそんなに好きじゃない。いや、どうなんだろう

よくわからないというのが現状です

 

 

というのも

カメラで見る世界や写真に写ってる映像は

あくまで記録であって、本物じゃない。と僕は思います

 

けど

見た人はそれを現実だと思い込んでしまう

という危険がそこにはあるんじゃないかなと

たとえば東北の写真見て

すげーなぁ

復興進んでないのかぁ

津波恐ろしいな

という感想を持つと思います

 

でもやっぱり実際にはその切り取られた一部だけでない世界がそこには広がっていて、

気温とか、風の冷たさとか、匂いとか

そういったものとても重要だと思う。

 

 

だからカメラ越し、写真ごしの世界は

少し、現実とは異なってしまうのかなと思う。

見るより、観て、感じる世界。

そういうことを通じてようやく少しは真実に近づけるんじゃないかな。

 

もちろん自分でカメラを持って行って全部体感して写真をとるということはおかしなことじゃない。

 

 

ではそんな僕は、カメラを手にするのはなぜか。

 

 

高校三年で一眼を手に入れた。

 

それまで

いろんな所へ行ったけど、カメラは必要とは感じなかった。

 

自分で感じて、観て、それでいいと思ってて。

知り合いにも、その写真を見せて知ったような気にさせてしまうのももったいないし、へんな先入観ももってほしくない。

 

そんな風に考えていた。

 

でも

震災が起きたとき、

その二日後くらいに

僕と友達は放射能から逃げるため、原発を止めるため、現実を知るため

まさに原発建設予定地の山口県上関にうかぶ祝島に向かった。

もちろん電気が使えない状況で、僕自身も無駄に使いたくもなかったから

静岡まで電車、そこから寝袋とテントしょって自転車で向かった。

 

まぁこの話はいつかするとして

 

 

祝島にいるときに

 

感じたこと

 

ほんとにすごいことだった。

 

 

建設現場の状況、住民の想いが形になったもの。

そういうのを

僕自身だけで終わっちゃだめだと感じ始め

カメラに興味が向き始めた。

 

もちろん

本当はみんなに現場に行ってほしいし、直に感じてほしいとは思っている。

 

でもそんな悠長なこと言ってらんねぇんだよ。今、この日本は、地球は終わりかけている。浅くてもいいから少しでも知ってもらわないとマジで終わる。

 

と本気で考えまして。

 

少しずつ旅の時はカメラを使うようになってきたのでして。

 

そうなってくると

スマフォとかそういうもので撮るというのは僕は少し抵抗がある。

まぁ僕はそんなハイテクなものは持っていないのですが

 

 

写真を撮るということは

その人の日常や、住んでいるとこの現実、困難とか喜びとか

そういうところを

 

カメラのファインダーで文字通り切り取っていく。

 

 

うまく表現できないけど

 

その人の一部を持ってく

 

と僕は思ってます。

 

 

写真をとると魂が抜かれるということがあるように。

 

 

 

 

だからその場によってはなるべく丁寧に。

 

いただいていきます

 

という気持ちで僕は写真をとる。とりたい。

 

 

 

僕はプロの写真家になるつもりもないし、学校に通って専門性を身に着けたいとも思わない。

 

でも、カメラを向けられる人にとっては

その人が素人だろうが、プロだろうが、関係ないんだよね。

 

 

僕は別に写真がうまいわけではないけど、

でも自分でグッとくる写真を撮れた時のあのうれしさと感動と感謝の気持ちは

悪くない。

 

僕にとってカメラとは結局大事で好きなものなのか、意外とそうでもないのか

どっちだよって突っ込まれたらうまく返せないけど

僕はカメラについてこう考えているのです。

 

カメラは

写真は

その一瞬を切り取って永遠に保存できる便利なものだからこそ

ずっとのこるものだからこそ

 

大切にしていきたいものです。

 

 

と、あたらしいカメラを買って

もう一度決意表明をしてみた

今日の僕でした。