中南米のひまじん。

不登校→大学院→青年海外協力隊→パナマ=ひまじん。スペイン語勉強中。そんな暇でしょうがないひまじんが、意識高いフリしてなんかする。

「さみしくなってもいい夜」のこと。

ぽん。

 

こんな大袈裟な音なんかしなかったけれど

それでも一つの大きな選択をするハンコを押した。

 

いわゆるJICAと僕を結ぶ契約書。

 

つまり僕はボランティア候補生からボランティアへと

法的に認められたわけです。

 

でもね

 

今まで僕は

別に誰かを救いたいとか

助けたいとか

無給でもいい!必要としてくれるなら!

とかそんな胃もたれと胸焼けと便秘になりそうな

ほど甘ったるいことは思ってなくて。

 

 

「なんで菊地は応募したの?」

 

何回か聞かれたけれど

 

考えて考えて

それでもうまく言えなくて

 

結局出た答えは

 

「ひまつぶし」

 

だって、そうでしょう。

 

絶対みんな今まで生きてきてあるでしょ。

 

熱く語るヤツをダサいって思ったり

必死に頑張ってるヤツをどっかで馬鹿にしたり

 

「おい、お前。いったい君はそこでなにをしてんの?」

 

なんて冷ややかに見たりする。

 

そういう人間の汚いところ。

絶対みんなあるでしょう。

いや、べつに共感はいらないか。

 

少なくとも僕はある。

 

 

他の人が熱く夢や人生を語るとき

どっかで馬鹿にして見下して

うわぁ、イタイなぁ。。。とか思って。

あると思うんだよね。

 

そう思われるのも嫌だから

 

だからあえて適当なふりをして

向き合ってないふりをして

「暇つぶしだよこんなもん」って

誤魔化してるふりをする。

 

誰かを卑下すること、

頑張ってるヤツを否定すること。

 

それを言うか言わないかは

七味が好きか、一味が好きか

くらいどうでもいいこと。

 

でも大事なのはそう思ってしまう

汚い自分がいるってこと。

 

見えないふりすることなんて

誰だってできる

熱く語るふりすることなんて

いくらだってできるんだもの。

 

 

でも、

心の奥ではきっと

そういう自分を冷ややかに見る自分がいる。

 

本当はそういうのに憧れてんじゃないの。

熱く語って、熱く生きて

人のために生きて

誰かの幸せを願いたい。

 

そう思ってんじゃないの?

つよがんなよ。びびんなよ。かっこつけんなよ。

 

って。

 

 

ああぁ

そうかもなぁ。

いや、そうだな。

 

どっかでみた

お金をせびってくる子どもたち

どっかでみた

家のないおっちゃんたち

どっかでみた

必死に国を変えようと頑張ってる人

どっかでみた

人のために生きる人

 

きっとそういう人たちの

エキスというか魂というか

よくわからないけどそういうのが

ちょっとだけでもきっと僕の中に

息づいている。

 

僕はどっかで

家もないけど僕にカップラーメンをくれたおっちゃんや

お金なくてご飯食べてないくせに、

さっき食べてもうお腹一杯だからって

自分と家族のご飯を僕にくれたインドのお父さんや

僕より20歳にもなってないのに

ハンガーストライキして国に訴え続けたあの人や

島を守るためにすべてを投げ捨てた島人に

 

僕はきっと憧れてたんだ。

 

そういう人に憧れて

そういう人を助けたいと思って

 

その一歩になればいいな

って思ってここにきたのかもしれない。

 

そんなことを最後夜に思って

少しだけ

さみしくなったのでした。

 

最後に自分に一言。

 

「おい。きくち。

てめーこそいったいそこでなにをしてるんじゃい」