中南米のひまじん。

不登校→大学院→青年海外協力隊→パナマ=ひまじん。スペイン語勉強中。そんな暇でしょうがないひまじんが、意識高いフリしてなんかする。

「大きな子どもになって思うこと」のこと。

こんにちは。

ご存知きくちです。

断言します。

くっそつまらん文章です。

だけどまぁ、次へとつながる布石だと思ってくれればいいなぁと

一応残しておこうかと。。。。

 

 

今朝、いつも通りに起きた時、

そういえば今日、担当しているクラスの授業はイベントで中止だったなぁ。。。

(他の学年は授業あるけど。。。)

と思って。。。

なんだかいけないことをしている罪悪感と背徳感を感じながら

 

アラームを1時間だけずらして

もう一度寝たわけです。

そう、俗にいう、二度寝です。

 

ボクが生きているこの世界では「禁断の果実」とされ

アダムとイブもこの二度寝によってなんだかいろいろあって

「あれーなんか気づいたら地上に落っこっちゃったよ〜」

って言ったとか言わなかったとか。

 

 

それはさておき、

普段より1時間遅く家を出ると日差しがまぁ、眩しく、なんだかその景色を見てたら

最近歳をとったなぁ。。。と思ったのです

理由は知らない。でも大抵のことの理由なんてどうでもいいこと。

 

 

歳をとること。月日が流れること。

今日はそんなお話をしようかと思いまして。

1時間遅刻した上にすぐにパソコンをいじりだしたわけです。

 

 

もう少し体が小さかった頃の僕からすれば

なんというか今の自分の歳が25とか26とかってまぁ、信じられないわけです。

要は社会一般的に言って大人なわけですよね。

 

あの頃の僕にとって大人ってのはマジですげー存在でした。

なんていうか、お金は財布から無限に出てくるし、買い物行っても、普段僕らが買うものより10倍くらいする値段のもの買うし、仕事バリバリだし、世界の全てを知っていて、夜遅くまで起きてるし、そのくせ朝自分より早く起きてるし、、、

 

完璧やん。大人ってすげーやん!なんて思うわけです。

しかーし。

自分が少し大きくなってから気づく。

 

あれ、これってもしかして幻想だったのか??

 

今日はそんなアルアル紹介。

 

 

その1

「大人は朝、自動的にかつ優雅に起きれるわけではなかった」

 

いや、これさぁ、なんていうか当たり前だけど、

でも子ども時代からみたら大人って朝にめっちゃ強いイメージあるやん。

 

だけど実際は朝起きんのめっちゃしんどくない!?

昔はさぁ、大人の朝って、、、

 

アラームより先に、というかアラームなんてセットする必要なく、

日差しが窓から差し込み、小鳥のさえずりが聞こえ、目を覚まし、

「ん〜」とか言って体を伸ばしてベットからスルっとおりて

顔を洗って「あぁ、すっきりした」なんて思って

気づいたら食卓にはバナナやパン、そしてコーヒーが湯気を立てて

ボクを待っていてくれて。。。(ちなみに食卓の机は木でできている)」

 

みたいな朝じゃん。

 

でもさ、

実際って

 

アラームよりも先に叫び出す鶏の「コケコッコー」に

うるせぇ!マジで!静かにしろぉ!アラームの時間まで寝かせろ!焼き鳥すんぞ!

と思いながらギリギリまで寝て、

アラームなったら、もうあと10秒だけ目を瞑らせてくれ。

という意味のない懇願をし、

「ぐ、ぐぎぃぃぃ」と歯を食いしばりながら朝どうにか起きて

朝飯?いらん。つか時間ねぇ。タバコ吸ってさっさといくべ。

 

って感じじゃん。

 

つまり、大人になるということは

朝気持ちよく、起きれるようになったのではなく、

起きなくてはならないという責任によって起きざるを得なくなっている。

これが正解。

まぁ、欲望(自分)と、仕事(社会)のバランスを取れるようになってきた。

といえば聞こえはいいんですが。

 

あとちょっと前に書いたけど、

寝坊はキリスト教の原罪に認定すべき。

 

その2

大人は何でも知っているわけではない。

 

これさぁ、最近よく思うんだよね。

自分もそうだし、友達と話していても

話している内容ってあれ、意外とくだらないこと多いなぁ。。。って

やれ、

現代社会におけるIT革命がもたらす日本の福祉へ影響とその展望」

みたいな話をするわけでもなく

「え、あの人って出身東京だったのー?知らなかったー!」

 

みたいな話の方が多い。

いや、高校生、大学生と変わってないやん。

 

そして、日常生活でもよくミスをする。

もの落とす。こぼす。日にちや時間を間違える。

そんなのって子どもの頃見ていた大人にはあり得ないと思ってた!!!

でもめっちゃするやん!自分!

 

その3

お金は無限にない。

 

子どものころ、親の財布ってのはそう、まるで4次元ポケット。

いくらでも出てくる。そしてなぜかよくわからんけど

カード一枚

ぴっ。

これで万事解決。

大人すげー!

 

ちなみにボクは中学生の時、多分初デートかなんかで

女の子に

「100円ってすげーよな。なんでもできるよな。10円10枚分だぜ!うまい棒10本買えちゃうし、やばいよな!?それに1000円札っつったら100円の10倍だぜ!もうやばいよな!やばいよな!!!本当にやばいよな!!!!!」

 

と熱く語ってめちゃくちゃドン引きされたことを記憶している。

 

さて、ちょっと大人になって思うのは、

お金はもちろん無限ではなかった。

 

収入は増えた。

でも支出も増えた。

金額は変わっても収支の割合は変わってない気がする。

そして買うときも、

あれ、こっちの方が安い。。とか、本当に必要か、、

みたいに意外と値段きっちり見ている。

まぁ、ボクがボランティアだからかもしれんけど、、、、

 

 

その4

バナナは1回2本が限界

 

これ。

一度でいいからやってみ。

バナナ1房買ってきてみ。

目の前に置いてみ。

さーたーべよっ!ってつぶやいてみ。

いける気するから。

でもな、

 

1本目 もぐもぐ。あー久しぶりに食べるとうまいなバナナ。うん。すげーなバナナ。

もう一本いったろ。いくらでもいけるわ。

 

2本目 ん〜。なんだろうなぁ。うまいんだけどこれ、あれ、なんだろう、もういっぽ・・・ん?なんか体が拒否してる。。お腹はまだ空いているのに、なぜだろう。バナナだけはダメだ。と人間に備わった防衛本能が囁いてる。。。

 

ってなるからこれまじで!

 

やってみ。

 

 

。。。

やっぱりあれだな。

暇つぶし(冒頭にも書きましたが仕事中です)

に書くとくっそつまらない文章になるな。

司馬遼太郎いわく、

 

文章を書くということは

水蒸気を圧縮して一滴の水滴を生みだすこと

であると。

(多分こんな感じのことを言っている)

 

なるほど。だとするならば今日のボクは垂れ流しているだけで

一切何も生み出してない。

 

うーん、やっぱりそんくらいガツッと書かないと

書いてても面白くない。

 

ということで次はもうちょい真面目なのを書こうかなぁ。

 

そうそう

前々から書きたいと思っていることがある。

それは

「ボクにとって文章を書くこととは如何なるものか」

ということ。

自分で気になる。

どうやってどうして文章を書いているのだろうか。

改めて振り返りたいものですな。

 

でもきっとこれを書くのはすげー大変なんだろうなぁ。と思って

なかなか手をつけられずにいるわけです。

 

まぁ、気が向いたらかいてみよう。