中南米のひまじん。

不登校→大学院→青年海外協力隊→パナマ=ひまじん。スペイン語勉強中。そんな暇でしょうがないひまじんが、意識高いフリしてなんかする。

「それだけのことで、それだけのこと」のこと

一滴の雫が

水面を揺らす。

 

それだけのことなのに、それだけのことだった。

 

そういえば

ミュージシャンになるって言っていた

あの先輩は結局東京に出ていったのだろうか。

僕は今でもあの曲を聴いているのだけれど。

 

そういえば

僕から5万円借りてそのまま消えた

あの人は今もちゃんと生きているのだろうか。

やばいとこから金借りて、

僕に連帯保証人になれって言って来たり、クレジットカードを作らせて、そこでキャッシングさせようとしたあの人は今もまだ汗水垂らして借金を返しているのだろうか。

僕は今でもあの人に感謝しているのだけれど。

 

そういえば

僕に毎日を充実して生きることの難しさを教えてくれたあのコックさんは

今もどこかで美味しい料理を作っているのだろうか。

僕は今でもあの人に食べさせられまくって太ったことを根に思っているのだけれど。

 

そういえば

あの人は今、どこで何をしているのだろうか。

思い出すことも稀だし、思い出してもすぐに消える。

そんな人の中で僕は生きているのだなぁ。

そして、「あの人は」という枠の中できっと明日も生きていくのだろうか。

 

一滴の、

たった一滴の水滴が水面を揺らす。

 

それだけのことで、多くのことを僕に思い出させる。

 

いろんな人の顔や声、暑かったこと寒かったこと苦しかったことや幸せだったこと。

そして、におい。

 

波紋のように広がって、記憶を揺り動かして、そして何事もなかったかのように

静寂に包まれる。

 

それだけのことなのに、それだけのこと。

 

あの日の僕はどうすればよかったのだろうか。

あの時の僕はどんな気分で生きていたのだろうか。

あの僕はあの日の誰かときっと楽しくやっているだろうか。

 

不安定に震える水面を見つめてそんなことを考える。

そして消えていく顔、顔、顔。

 

まぁいいか。そんなことは。

だってそれだけのことだし、それだけのことだから。

 

 

 

 

 

(ちゃんと書こうと思った時の)

 

「文章を書く」

きっかけは僕には二つあります。

 

一つはものすげー量の言葉が雪崩のように頭になだれ込んできて

でもその一つ一つがとてもか細くて

流れ星のように現れては消えて、一筋の痕跡だけをうっすらと残して行くのです。

 

そういう時にその痕跡を拾い集めて紡いてどうにかなにかの形にする、

そんなパターン。

前にちょこっと書いた原爆っぽい話は

いろんな言葉が

すげーーなだれ込んできて

おい、きくち。どうにかしろ。バラバラになった仲間をどうにかして集めてくれ。

そんなことを僕に頼むから、

どうにかこうにかした感じです。

 

もう一つは

「映像」これまた急に映画のワンシーンのような映像が

一瞬ぐわっと頭に現れてなんともいえない寂しいような嬉しいようなくすぐったいような

そんな気持ちにさせるの時があります。

そんな時に何か書こう、と思うのです。

 

 

きっとこの映像は、自分自身を形容させる言葉を探しているんじゃないか。

そんな気さえがする時があります。

 

だから適当に自分の脳みそから愛すべき欠点だらけの言葉辞典を開いて

なにかピタッとハマるものがあるかどうかを探してくっつけてみる。

 

そんな感じです。

 

冒頭になんとなく書いてみたのは

最近ずっと頭の中に真っ暗な湖みたいなところに

水滴が落ちていく映像みたいなのがあって、

それが頭から離れなくて。

なにか言葉を探していたら

思い出という言葉がぴったりハマるじゃないか。という結論にいたり

言葉を紡いでみたのです。

 

僕はこんな感じで文書を書きます。

不思議なことに言葉にして書いたら

すっと頭からその言葉の流れ星や映像は、言葉たちは消えて行くのです。

 

まるで幽霊が言葉というお供え物を手にして満足して消えて行く。そんなイメージがぴったりハマるかと。

 

あ、ちゃんと文章を書くときはね。

それ以外の時は一切何も考えないし、適当だし、雑。

だから書いててとてもイライラするし、すっきりしない。

それでもそういうイライラするような文章を書くことも時には大切なのだと

適当に言い聞かせてるのです。

 

 

僕はこうやって

文章を書きます。

 

それがうまいとか、下手とか、

気取ってるとか、ナルシストだとか、

そういう次元の話は置いといて、

 

僕はただ、文章をこうやって書いている

 

それだけのことで、それだけのことなのです。