中南米のひまじん。

不登校→大学院→青年海外協力隊→パナマ=ひまじん。スペイン語勉強中。そんな暇でしょうがないひまじんが、意識高いフリしてなんかする。

「ひまじんは、いかにして『ひまじん』になったのかその誕生ストーリー」

 

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「初めは僕も忙しかったんですよ」

 

そう言いながら彼は少し寂しそうに

漂う煙を見つめていた。

 

(注:煙は演出です。

   手に持っているのはココアシガレットです。)

 

 

こんにちは。

おきくです。今日はですね。

中南米でただただ暇している「中南米のひまじん」こと

きくちさんにお話を伺いまして、

 

「ひまじん」がいかにして「ひまじん」になったのか、

その誕生秘話をみなさまにお届けしたいと思っております。

 

彼は何を感じ、何を思い、

そして今、

何を憂うのか。

 

その裏側に迫ります!

 

 

 

時はさかのぼること約2年、

2017年4月、

 

彼は中南米パナマに立っていた。

 

彼の両肩には重すぎるほどの肩書と、

そして胸に秘めたる熱い決意を持って。

 

ひまじんさんは、JICAの青年海外協力隊員として

小学校に派遣されています。

 

協力隊員と言いますと

日本のODAOfficial Development Assistance)、

つまり政府開発援助の一つであるJICA

のボランティアであります。

したがって、彼は

「現地の算数の授業の改善」

を目的として要請を受け、

日本から

旅行客でもなく、労働者でもなく

ボランティアとして。

そして

「一般人」ではなく「公人」としての立場で、

オフィシャルパスポート(緑色)を

持ってこの国に派遣されてきたのです。

 

 

出国前、

彼は現地の人に何かしてあげたい、

欲を言えばパナマの教育を、

小さな村の小学校から変えたい。

そう思っていたと後に語っています。

 

 

そんな彼の日常は

どのように始まっていったのでしょうか。

 

 さっそくインタビューを開始したいと思います。

 

世界初、独占インタビュー

 

始まり始まり

 

____________

 

 

 

「初めは毎日が新鮮でした。

もちろん言葉や文化、住環境など、

大変なこともたくさんありましたが、

とても充実していました。」

 

全てを手に入れた今、

。。。否、

ある意味全てを意味失った彼は

どこか遠い思い出を懐かしむように

そう呟きました。

 

「言葉?もちろん喋れないですよ。

現地の先生たちに『誰だ?』『何しにきたんだ?』

なんて言われてもうまく返せないんですよ。

そっちが呼んだんだろ!なんて、とてもじゃないですが、

言えなかったです。

いやぁ、悔しかったですね。えぇ。とても」

 

その悔しさからか、

彼は朝一に学校へ行き、

子どもたちや先生たちに

拙い言葉でありながら積極的に絡みながら、

少しずつ、自分の居場所を模索していったといいます。

 

「その甲斐あって最初は中国人呼ばわりだったのが、

だんだん日本人、そして名前で呼んでもらえるようになりました

いや、ほんと毎日が楽しかったですよ」

 

(赴任して2ヶ月後のひまじんさん。村人に乗せてもらったという。笑顔からその楽しさが伝わってくる)

 

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しかし、仕事の方は順風満帆とはいきませんでした。

 

「いやぁ、それまでの僕の仕事っていったら

なんにもなくてね。

ただ授業を見学しているだけでした。

先生たちも僕を拒みはしないものの、

見て見ぬフリ。できることと言ったら

プリントを配るのを手伝ったり、

コピーをとったり、

まぁ、程のいい雑用みたいなもんですよ」

 

と彼はすこしはにかみながら語ります。

 

 

そして2ヶ月がたち、職場にも慣れ始めた頃、

彼は先生たちに対して

日本の小学校、教育の話をプレゼンをしたい、

と校長に申し出たといいます。

 

彼曰く、それが転機だったと言います。

 

 

「何故かわからないんですけど、

そういう時間を作る必要がある!

ってその時感じたんですよ。

つまり、自分がパナマに来てやりたいこと、

自分が誰で、何をしに来たのか、

自分が教育に対して熱い思いをどんだけ持っているか、

それを伝える時間が欲しかった。

だから緊張しながらも校長にお願いしたんです。

もちろん言葉の問題で半分も伝わらなかったでしょう。

 

終わった後に校長に呼び出しを食らって

『今度から原稿を見せろ。直してやる』

と言われる始末でした。お恥ずかしい限りです。」

 

だが、

どこか嬉しそうに過去を振り返るひまじんさん。

 

「プレゼンの出来はひどかった」というものの、

それ以降、先生から授業を頼まれたり、

日本の指導法を教えてくれという声が

ちらほら上がったと言います。

 

「その時くらいからですかね。

ちょっとずつ自分にしかできない仕事が回ってきたのは。

ようやく認められたのかなって感じました」

 

(プレゼン最中の様子。緊張からか、その手には原稿がぎゅっと握られている)

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そこからは

少しずつ忙しくなり、家に帰れば授業準備、

またそれに使うための言葉を探したり

なんにもない現地の小学校で

使えるように紙や糸、

ハサミだけで作れる教材を考えたりと

 

とても充実し始めたと言います。

また、自分でできることも模索し、

少しでもこの学校を良くしたい、

そう感じていたそうです。

 

 

「そうですね。

だいたいその時くらいかな、、、、

100ます計算も始めました。

僕はパナマの教育を変えてやる!!

なんて熱い想いを持っていたのですが、

現状として、その土壌さえなかったので、

まずはそこからかな、と考えました」

 

思っていた場所と違い、

また、思っていたよりも

ずっと過酷な環境であったにもかかわらず、

彼はそれをモチベーションに変えて

日々の活動に取り組んでいたという。

 

 

「ちょこちょこ授業をしたり、

授業の改善点を指摘したり

100ますの採点したり

それをデータ化したりして、

どれほど伸びたかを伝えて行く。

そういったことも毎日の業務に入ってきましたね。

いやぁ、忙しかったですよ。」

 

 

今の自分の生活を見ると

とても同一人物とは思えないですよね。

当時を振り返るひまじんさん。

しかし、その語り口調にどこか喜びが滲んでいる。

 

 

 

 

(100ます計算をする子ども。この採点はしんどかったけど、子どもの成長が分かって楽しかったという)

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このように毎日が

せわしなく、

しかし充実した忙しさで溢れていた

と彼は言う。

 

その忙しさのせいか、

あっという間に一年が過ぎた。

 

ーー年末年始はどんな感じだったんですか?

 

「年末年始ですか?

えーっとですね。

ちょうど年末から年始にかけてくらいですかね、

パナマでは毎年教員向けに大きなセミナーが

1月〜2月にあるんですよ。

えぇ。教育省が主催するやつなんですけど。

 

そんで

教育隊員は二年目にそのセミナーを開催するというのが

暗黙の了解という形であって、

僕は先輩隊員が行うセミナーの

お手伝いさせてもらうことになったんですよ」

 

 

そこで得たのは

新たな刺激よりも不安と焦りだったと

彼は述べています。

 

「いや、すごいんですよ。みなさん、

言葉もそうなんですけど教育に対する想いとか、

日常の仕事への向き合い方、とか

そういった全てが僕の目にとても輝いて見えて

『僕もこうなりたい!!』というよりも

『僕にできるのだろうか』という不安が

脳裏によぎりましたね」

 

なにか思うことがあるのか、

さらに彼はこう続けます

 

「そのセミナーを経て、

自校に戻り日常業務を行なっていると

どうしてもその時の記憶が蘇るんですよ。

『あの人はこうやってたな』、

『僕は全然できてないな』って」

 

そうした焦りからか彼は

自分の相方である教員に対して

苛立ちを感じるようになったと言います。

 

「いや、結局のところ、自分の甘さですよ。

自分が何にもしてきてないくせに、他人の文句を言う、

ダメなところを見てしまう、

やる気ないと人のせいにしてしまう、

・・・・全部自分に返ってくる言葉ですよ」

 

 

ぽりぽりと頭を掻いたのかと思いきや

ココアシガレットを食べるひまじんさん。

 

 

 

セミナーで節分を紹介している時、受講生との一枚。充実感からか、胸のJICAマークが誇らしげだ。)

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そのような相方との確執が原因で

彼のボランティア生活で忘れられない

出来事が起こる

 

 

「つい頭きてね、喧嘩しちゃったんですよ

相方と」

 

 

授業の改善点を指摘したり、

模本授業をしても

なにも変わらない、

変わろうとしていないように見えた相方に対して

 

彼は拙いスペイン語で思いの丈をワード3枚分

書き殴ったという。

 

「相方をね、呼び出して

『僕はうまく話せないけど、

伝えたいことがたくさんあるんだ。読んでくれ』って

自分の想いを読んでもらったんですよ。

 

いやぁ、怖かったですよ。下手したら

今までの関係が全部おじゃんですからね」

 

ーーーどんなことを書いていたんですか?

 

「え?内容ですか・・?、

そうですねぇ、、、

『とにかくあなたはどうなりたいんだ?』

『僕に何をして欲しいんだ』

ということを書いた気がします」

 

ーーそしたらどうなりました?

 

「いやぁ、相方も怒ってね

僕のダメなところを指摘してくるんですよ。

『お前もこれできてないじゃないか!?』

って。正直めちゃくちゃ怖かったですよ

普段はラテンな感じで笑って元気な人なので

余計にびっくりしました」

 

 

ーーそれで?

 

「話しましたよ。じっくり。

そして二人の合意点をみつけたんですよ」

 

ーーほぅ、どのような?

 

「結構、根掘り葉掘り聞くんですね」

(笑いながら2本目のココアシガレットを出す)

 

ーーすいません。つい。。。

 

「いえ、いいんですよ。

ただ、ちょっと言いにくいことなんですが。。。」

 

(ふぅ。。っとココアシガレットを口に含む

というより舐める。)

 

「要は、僕が口ばっかだって言うんですよ。

つまり、授業の改善点ばっかり言うけど

それをどのように授業という枠組みの中で

表現していくのか、そこがわからないのに、

改善点だけ指摘されても変われるはずがないって

 

グサっときましたね。その通りなんですもん。

僕は口頭で改善点だけ指摘して

『あとはやってみろ』でしたもん。

具体性がなかったんですよ。

 

ほら、よくいうじゃないですか、

人を変えたいなら言って聞かせて、やって見せて。。。

ってやつ」

 

ーー山本五十六・・・ですね?

 

 

「あぁ、そう。それそれ。

やっぱりその通りだなって思ったんです。

だからそこから1ヶ月、僕が全授業(算数)

を担当することにしたんです。

どのように1単元を組んで、授業をどう繋げていくか

1つの授業がどのような展開を見せるか、

それを全部見てもらうようにしたんです。

そしてなにか掴んでもらおうかなって」

 

ーーそれはいつ頃の話ですか?

 

 

「だいたい5月の後半〜6月くらいだったかなぁ。。」

 

 

ーーーーーーーーーー

6月というと、

ひまじんが「ひまじん」となる

つい半年前のことである。

 

不思議なことに

このような熱い想いを持った

青年が半年後に

なぜ

「ひまじん」になったのであろうか。

 

この半年に彼になにが起きたのだろうか

そして彼の相方は今・・・

 

謎が深まるばかりである。

 

 

次回!

明かされる

「彼が『ひまじん』になったワケ!!

 

乞うご期待!

 

 

 

 

。。。。

え、うざい?

 パート3くらいまで続けようかと

思ってるんだけど

どう・・?笑