中南米のひまじん。

不登校→大学院→青年海外協力隊→パナマ=ひまじん。スペイン語勉強中。そんな暇でしょうがないひまじんが、意識高いフリしてなんかする。

「僕とパナマとコカコーラ」のこと

こんにちは。きくちです。

 

さて、

(以下、「前置き」)

 

ヒトが強いと言われる所以は

人間には適応能力が備わっていること

=すなわち「慣れる」ことが出来るからであると私は思う。

 

なるほど、

しかし同時に人間を弱くしてしまうのも

また「慣れ」なのである。

 

いや、突き詰めれば「慣れ」というのは

ヒトに備えられた最大の「逃避本能」であり「防衛本能」であるのではないかと。

 

 

さて、

パナマに来て約2ヶ月が経ち

任地に赴任して約1ヶ月が経った。

 

 

少しずつ僕はこっちの生活に慣れてきている。

 

朝起きたら虫が散乱していることに

シャワーが4回に1回は断水してちょろちょろなことに

冷蔵庫がもうすぐくるよーと言われ早1ヶ月が経っていることに

この家を居住候補にあげた職員に「よくこんな家住めるねー」と言われる矛盾に

断水が午前から夕方まで基本的に続くくせに午後からは基本的にスコールがくるといういきすぎたツンデレな天気に

小さな集落だからこそ街を歩くと全員に名前を呼ばれ、ちょっとした人気者な気分になれることに

自然に帰るゴミは基本的に窓からぶん投げる系の生活スタイルに

 

僕は少しずつ慣れてきている。

 

 

でも、慣れというのは非常に怖いもので

そこから先の思考を止めてしまう。

 

「まぁ、いいか」

「こんなもんだし」

 

この「慣れ」の産物とも言える

一種のあきらめが僕の心に巣食うわけであります。

 

 

つまり

慣れっていうのは

ヒトを適応させ、

違和感を、疑問を、可能性を

当たり前の中に埋没させてしまうことでもあるかなぁ

と思う。

 

なれることってのは

いわば、意識を無意識化してしまうものなのかもねぇ。

ならば、必ずしも良いものではないね。

 

 

あ、以上

これ前置きね。

 

 

改めましてきくちです。

さぁ、僕は今、

JOCVという肩書きを持っているわけですが

(まぁ、いっちまえば発展途上国で人のため国のために全力で頑張りまっせという決意をもったあっちぃボランティア)

 

 

あははは!!

きくちが!?ボランティア!?

 

大学の頃、授業の必修で幼稚園に行ってボランティアでしなければならない時に

面倒くさくて本気でやりたくないからって

出席のハンコ押して窓から逃げてフェンスよじ登って

家で寝てたぼくが?ボランティア!?

 

教育実習で掃除がしたくないからって

掃除の時間中ひたすら担任から見つからないところに逃げてた僕が!?

んで隠れて子どもとホウキで野球したら担任に見つかって説教くらった僕が?!

 

ボランティア!?

ふぁっく!

 

そもそも訓練所にいるときだって・・・・・・・・おっとさすがにこの先はまずい。

 

 

まぁ、

みなさんが想像がつくように

 

「そこまで逃げると逆にもっとめんどくさくなるだろ。」

ってくらい面倒くさいことから逃げたい欲が強い僕はとてもゆるくやっています。

 

 

いや、こんなこと言うと

マジでなにやってんの?

 

とか言われそうだからちゃんと働いているよ

アピールしとこうと思います。

 

ということで

僕の日常と

職場をご紹介しましょう!!!

 

決して最近他のボランティアがガンガン活動しているの見て

ちょっとでも頑張ってるアピールしとかなきゃ!(汗っ)とか思ってるわけじゃないからねっっっ!!!!

じゅ、、純粋に紹介したくなっただけだからねっ!

 

 

 

さて、

僕がいる国はパナマという中南米の国であります。

 

首都にはビルがたくさんたち並び、東京よりも土地が高く

マックもボーリングもあれば、ヴィトンやシャネルなどもあり

まぁ、正直ボランティアなんて一切必要ない国なわけです。

 

ところがどっこいどっこいしょ。

 

ちょっと離れれば

 

小さな村があり、

お店も1店舗しかなく、村には小学校しかなく、病院も何もかも隣の町まで

行かなきゃならない村があるわけです。(この村が僕の任地)

 

つまりかなりの地域格差がある国。

 

村はどんな感じかっていうと

 

村の人口→知らん→つか、家と小学校とお店2店舗(売ってるものは同じ)と教会と公園以外この村にはない。

 

 

そんな村の小学校では

子供が100人くらい

(正式には140人らしいけど絶対そんなにいない)

先生が12人くらいかな。

 

小さな小さな学校です。

時間割はあってないようなものだし

 

英語の授業の時に先生こなくて

どこにいるの?って担任に聞いたら

「そこにいるよ」

って見たら近くの教室でネット繋いでなんか見てるし

 

そんで担任も

じゃあ違う教科すっか。っつって適当に授業するし

 

授業を忘れる(というか意図的だろうがよっ!なぁ!?)そいつにオイだし

「そこにいるけどね」ってなにごともない感じで

言う担任にもオイと言いたくなるわけです。

 

 

いや、うそ。全然ならない。

 

普通におもしれーって思う。

この緩さがたまらんと思う。

これでなきゃ!とも思う。

つか自分に向いてる!とさえ思う。

 

だって、僕は日本の教育しか知らないわけで

というか一般的な日本の教育さえ受けてきてないわけで

 

そういうやつが海外行ってさ、

日本の教育とか語っても全然面白くないっ!

僕がワクワクしないっ!

 

ゆるゆるの中に身を任せて

こう、「面白ければいいじゃん!」って

思えればすげーいいと思うんだけどなぁ。

よし!ということでダラダラ気軽にやってこー!!

パナマサイコー!

 

って

二週間くらい前まで思ってたんだけど

 

それってつまり「教えるの放棄」だよね。

 

楽しければいいとかってそれって結果に責任を取らないことだし

日本の教育を押し付けに来たんじゃない、知ってもらうだけ!

も同じこと。

 

そういうのって全部

逃げだよね。

 

って考えたら

あ、たしかにー

って思うわけですよ。

 

僕がここにいるのは

結局は日本の教育を教えることであるわけで

いいか悪いかは僕が判断することじゃなくて

現地のヒトが決めるべきものだよね。

 

教えることは教えて

採用するかどうかの選択肢は向こうにある。

 

それを楽しければいいじゃん!文化を否定しない!とかいって

 

教えないってのはどうしても

責任逃れだよね。

 

って思って

 

まぁ、ちょこちょこ教材作ったり100マス計算やったり

点数とかまとめて可視化したりして

働いているふりしているわけであります。

そしたらなんかこう、前よりも見えてきたりするものがあるわけです。

あ、このできないと思ってた子どもが以外と出来ていたり

挑戦する意欲みたいなものを感じれたり

結局は頭使うより

実際に体使ったほうが見えてくるものがあるよね。

 

だから僕はもう少しだけ

頑張ってみようかなと思うのです。

 

 

 

 

はいっ!どうですか?

 

なんだかこう

壁にぶつかって

悩んで考えて

それで自分なりの答えを出して

一歩踏み出す

いかにも青々しい青年の頑張りみたいなもの

ちょっと見えました!?

 

 

ともかく僕だってこんな感じで生きてるんですよー。

 

あ、

そうそう、とか言いながらもね

学校は8時に始まって13時くらいには終わるんだけどね。

あ、ついでに僕の1日。

 

6時半 起床

7時過ぎ 出発(テクテクとあるく)

14時ころ帰宅→シャワー浴びてごろごろ漫画読んだり本読んだりユーチューブ

16時〜17時くらいから日が暮れるまで毎日サッカー

(サッカーチームとフットサルチームに加入した)

19時くらいにご飯食って(たまにこの時間からフットサルの練習か試合)

22時30には寝る

 

なにこのモラトリアムな生活!

学校で働いてる時間よりサッカーや好きなことしてる時間のほうが長い!たぶん!

 

ということで

 

サッカー終わりに飲むコーラのうまさってなんなん!?

 

という話でした。

(真面目なこというと恥ずかしいからこうやってふざけてバランスとるのは僕の昔からのクセ)

 

 

あ、でもね、なんかこう、

帰るときに

2年間クソみたいな生活をして

何もしてこなかったし、何もできなかった。ごめんなさい。

プラスにできたかわからないけど、少なくともマイナスにはならなかったよ。

 

でもね、すげー楽しかったよって胸張って言ってやりたい。

 

 

そんな感じの僕でした。

「無意味なことと戯言と時々愚痴」のこと

 

諸君!

 

いや、誰もいないのだけれども

あえてここでは諸君と呼びかけることにする。

 

さて、私が日本の裏側に来てすでに1カ月の歳月が流れたと思っているが

実際にはそうではない。2週間くらいである。

 

したがって少しずつ生活に慣れてきたと言ったら過言である。

 

そこで私は恥ずかしげもなく正直に言おう。

 

私は今、生活に飽きている!

 

他のボランティア達の生活が非常に

輝かしく、また希望に満ち溢れているのを見て

 

あれ、なんかそういうもんなの?という

途方もない寂しさに襲われている。

 

いや、実際そんなことないよね?

え。そんな楽しい?

ちょっとまって。おいてかないで。。。

 

そんな不安と葛藤をサクッと背負い込んだ

私は今から諸君らに純粋に愚痴をぶちまけることにする。

 

史上稀に見る駄作であることから

本当に暇じゃなければ直ぐさまパソコンの電源を切るか

ホームボタン連打をお勧めする。

後悔はしてからでは遅い。

 

さて

上述したことと相反するかもしれぬが

私のパナマ生活はつまるところ、

やる気に満ち溢れている!

 

獅子は我が子を谷に突き落とすというが

私はまさに自分を突き落としているのである。

 

例えば、日本であれほど勉強し書き溜めた便利なノートや

勉強道具を全て日本に忘れてくるほどのやる気に満ち溢れているのである。

 

そもそも筆箱や筆記用具さえ持ってくることを忘れてくるほどの努力をしている。

そしてそれに気づいたのも語学学校が始まる当日の朝であった。

 

したがって今は眼鏡ケースに、リュックに偶然入ってたボールペン一本をいれ

あたかも筆箱のように見せかけるというストイックさである。

 

(ちなみに何故か眼鏡とケースは全部で4つ持ってきていた。

なぜこんなに持ってきはのかは吾輩にもわからぬが、無論一つしか使っていない)

 

さらに

私の努力はそれだけにとどまらない。

 

例えば、家族との会話をあえて拒絶し、すぐさま部屋に引きこもり

日本から持ってきた甘酸っぱい青春を題材にする小説を読み漁り

ホームシックにかかるように仕向けているのである。

 このストイックさと言えば

かのイチローに匹敵する可能性がちょっとある。

 

決して人見知りが全力で発動し、

言葉の壁が思いの外高く登る気力を失ったというわけではない!

 

さて

このように書くと諸君の中に勘違いするものが出てくるだろう。

 

すなわち、菊地はただダメなやつなのではないか、と。

 

私はそのような声に断固反対する。

 

日本には昔から「能ある鷹は爪をかくす」という言葉がある

まさにそれなのである。

 

したがって私は家族との会話に参加することなく、黙々とご飯を食べ

余計なことを話さず爪を隠しているだけである。

 

そしてその隠し場所を忘れてしまっただけである。

下手したらこれも日本においてきた可能性もある。

 

しかし、私は隙あらば会話を乗っ取ってやろうとその隙を

虎視眈々と狙っているのである。

ただ、しかし虎視眈々と待っているあまり

少しうたた寝してしまい、

ホームステイが残すところあと一週間になってしまっただけである。

 

このほかに

私のストイックさを語る事例を挙げるとしたら枚挙にいとまがない。

例えば

夜、家に帰ってご飯を食べ(1人で)お風呂はいって寝るまでに

「ごちそうさま」と「おやすみなさい」

しか言わなかったという

おそらくボランティア史上最短のコミュニケーションで乗り切った夜が

3回くらいある。

 

もはや家族となったわれわれに

多くの言葉は必要がないと自負している。

 

このようなわれわれの関係性に気づけず

軽率に私を心配してくる輩もいる。

 

「きくちさん。もう少しコミュニケーション取ったほうがいいですよ。

スペイン語の勉強にならないですよ」

 

とある人に言われたこの冷静なるツッコミに

私はやや動揺したことを認めざるをえない。

 

だかしかし、

スペイン語とはあくまで言葉であり言葉とはコミュニケーションをとるための道具である

したがってコミュニケーションをとる必要性が感じられない時に、

スペイン語を話す理由など

流しそうめんでしらたきを流すくらい本末転倒かつ、

この例え並みによく分からないのである。

 

このように全てのものに反対し、屁理屈をこねている私を

人は「低俗だ」と罵るであろう。

 

しかし

かつてフリースクール創始者であるニイルは

学生時代に以下の(ような感じの)言葉を残している。

 

「くだらぬ慣習や風習に反抗することを低俗だというのであれば

私は高らかに、陽気に宣言しよう。私は徹底的に低俗である」

 

よく言ってくれたニイル。

まさしくである。

 

加えて

かのデカルトの名言といえば

「我思う(疑う)ゆえに我あり」

であるが

 

全てに正直になれないことが

自分の存在意義なのである。

 

このようにして、私は

自分の不甲斐なさと愛しさと切なさとと心強さを

 

無理やり過去の偉人になぞらえて

価値のあるものだと昇華しているのである

 

いや、結局言い訳っしょ

という声に私は耳を貸さない。

なぜならばその通りだからである!

図星をつかれるのはなかなか心苦しいものである。

 

苦しむならいらない!

どっかの少女漫画のヒロインみたいなことを

24歳の眼鏡の引きこもり青年が嘆いている絵面はなかなかにきびしい。

 

あ、価値といえば

私が日本から玉ねぎ持ってきて

現地のスーパーに行ったとしたら

 

目の前にある玉ねぎと

僕が持ってきた玉ねぎ

 

味も見た目も一緒なのに

価値(値段)と名前が違うことに

今更ながら感慨深さを感じている。

 

 

ロミオとジュリエット」(シェイクスピア

の中で

ジュリエットは以下のように言う

 

「名前って何?バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても

美しい香りはそのまま」

 

玉ねぎだって一緒である。

 

玉ねぎを別の名前にしてみても

切ったら涙はでてくるのよ。

 

 

 

諸君、うすうす感じているだろう。

 

紛れもなく今回の投稿もまた

なんの意味と意義を持たないことに

ただの戯言である。

 

 

ということで

これ以上いつか読み返した時に恥ずかしくなるのは御免なので

ここで幕を引こう。

 

しかし、無意味なものなどこの世に存在しない。

 

だからきっとこのパナマ生活も

いつか意味がわかる時がくるのであろう。

 

 

だから、、、あの、、、、がんばろうね。

 

 

「どうやら僕のまわりはバファリン以上に優しさでできてるかもしれない」のこと

改めましてこんにちは。

3月のチキンこときくちです。

 

 

ということで27日に出国し、パナマへ向かう途中の僕に

ちょっとした不幸が集中砲火しておりまして

 

出国して経由地であるアトランタについた瞬間に

僕がやらかしまくったせいで

 

多くの方に

ご迷惑と不安と心配とかけてしまい

かつ

嘲笑と叱責と暴言を根拠の無い励ましを頂いて

道頓堀並みにどんよりしていたきくちでぷ。

 

ということで

 

「釈明」と「弁解」と「言い訳」と「言い逃れ」

を足して

「責任転嫁」で割ったようなことを書いておきたいと思います

 

『事件編』

まず

第一のやらかし

ロックアウト事件」

まぁ要するにオートロックのカードキーを部屋に置いたまま

外に出ちゃったよーって話です。

 

ところがどっこい小結ちゃん。

 

話はそんなに単純なことでは無いのです。

 

ことの発端は以下の通りである。

 

日本を旅立ち12時間後アトランタに到着した僕らは

重い荷物を抱えながらどうにかこうにかホテルに到着したのだが、

そのホテルの部屋が思っている以上にでかい。

入り口から端の壁まででんぐり返しが8回はできるくらい。

 

さらに面白いことに、その部屋の内側から隣の部屋に続く秘密の通路があったのです。

 

つまり、僕の部屋から扉を開けるとそこにもう一枚扉があり、

隣の部屋からその扉を開けると僕と隣の部屋がつながるのです。

そして隣の部屋の住人は一緒にパナマに行く人。

 

そんな部屋に泊まったことが無い僕はまぁ必要以上に浮かれ

隣の部屋に行ったりしたのです。

 

ここが全ての元凶であったことは言うまでもない。

 

隣の部屋に行き

「すげー!」

とか言ってると僕側の扉が閉まってしまう。

 

開けようとするがあかない。

なんだーあかないのかぁ。

(この時にはことの重大さがわかっていない)

 

しかたなく隣の部屋から廊下に出て僕の部屋に戻ろうとした時

やらかしに気づく。

 

あ、カードキー部屋の中だ。。。。

 

まぁ、ここまではよくある話、

ということで受付に行って予備のカードをもらう。

 

やっちゃいましたねー

なんて笑いながら部屋に向かう。

 

さて、普通ならここで物語はおわるのですが

 

ところがどっこいドキンちゃん

 

世の中と僕に付きまとうプチ不幸はそんなに甘くない。

 

扉が開かないのである。

 

ん?なんでだろう?あれ?んん?

 

不思議に思った直後、

僕に電撃が走る。

 

あ、ぼくちゃん内鍵しめてるやん。

 

 

。。。。説明しよう。

 

訓練所の生活でも鍵をせず呼び出しをくらいまくってた僕は

気づいたら鍵を必要以上にかける習慣を身につけていた。

 

ホテルの一室に入った時、その習慣が発動し、

(オートロックにもかかわらず)内鍵をしめ、

隣の部屋に行き、そして戻れなくなったのである。

 

つまり電子ロックに加え

物理的ロックもかけてしまっていたのである!!

(どどん!)

 

ということで

見た目は大人

頭脳は子どもの僕が

コナンに出てきそうな

見事な密室をつくりあげてしまった。というわけである。

 

そしてそこで慌てふためいていた時に

別の不幸が訪れる。

 

第二のやらかし

「戦力の半分を失っちゃったよ事件」

 

ふっとみたらズボンにくっつけていた

カラビナが外れておりスーツケースの鍵が

ぽろりんちょしていたのである。

つまり、2つ持ってきたスーツケースの鍵が

パナマに着く前に1つ帰らぬ鍵となってしまった。

 

キクチ君は鍵を2つ持ってました。

アトランタで1つ落としたので

残りはいくつでしょう?

 

この小学校の教科書的な現実を

受け入れ難いものの

 

ともかく無いものは無いのである。

いやむしろ、最初からあったっけ?と思うほど

飛ぶ鍵、跡を濁していなかったのである。

スーツケースは僕の全てであるため

それが開ける鍵が半分になるということは

すなわち

 

僕の戦力が半減することに等しい

 

かどうかはちょっとわからないけど

雰囲気的にはそんな感じ。

 

 

それはともあれ

チェックイン時にはめちゃくちゃ優しかった

受付のお姉さんにめちゃくちゃキレられて

どうにか最強のマスターキーを使い

部屋に戻った僕は(ちなみに内鍵だけでなく、チェーンをかけてたら詰んでいた。)

スーツケースの予備の鍵があることを確認して

一安心したのであります。。

 

さて、

その後寝る前にあることに気づく

 

『文明を捨てる羽目になるキクチ事件』

 

充電器・HDDなどの電子機器を入れた

袋がない。

飛行機の中でつかったのに。。。。

もしかして、、置いてきた。。。

海外において電子機器がなくなるということは

 

外部との連絡や・・・・・

 

ちょっと他には思いつかないけど

とにかく難しい年頃を迎える羽目になる。

 

ここまでくると

自分の神経というよりも

現実を疑いだす僕は

落ち込みながら現実逃避をするために

そそくさ、いそいそと

キングサイズベットの隅っこに逃げ込んだのでした。

 

 

『解決編』

 

朝起きると

先に空港に行った人から連絡が

 

「鍵がある。」

 

そしてそれはいかにも我が輩の鍵であった。

 

思いかけず

街角で初恋の人に会った時の感動の

半分くらい心臓が高鳴り

 

鍵をキープしてもらうことに。

といってもスタッフは預かってくれないので

空港内のある場所に隠してもらい後ほど回収する

手筈を整えてもらった。

 

ほんとうにありがとう。

 

 

そして一安心している時、

一緒にパナマに行く人が

 

テッテレー!

 

コード類が入った袋をだしてきた。

 

 

僕はその人にタバコ1カートン持ってもらっていたのだが

 

どうやら飛行機から降りる際

コード類を入れた僕のタバコの袋と

彼に持ってもらっていた袋を間違えていたのであった。

 

 

昨日無くしたと思った時に彼は寝ていたので

その事実に気付かないまま今を迎えたのでありました。

 

 

ともかく、

着いた途端

やらかし続き

 

戦力と文明と部屋を失いかけ

 

到着前にホームシックになり

着いてもないのにもう帰りたいと思っていた僕は

 

気づいたらもと通りになっていたのでした。

 

きをつけようね。

 

みんなありがとうね。

 

たぶん

まだやらかすかもしれないけど

たすけてね。

 

 

色々助けてくれたみんな。お礼は2年後に。