中南米のひまじん。

不登校→大学院→青年海外協力隊→パナマ=ひまじん。スペイン語勉強中。そんな暇でしょうがないひまじんが、意識高いフリしてなんかする。

「あるいは僕が神に祈ること。」のこと。

まぁまぁ、長文。でもきっと誰かの役にたつはず(前半はただの戯言だけど)

 

 

みなさま、こんにちは。10月の菊地です。

いろいろと大変なことが起きました。

 

「何が起きたか」を説明するためには「どのような過程を辿ったか」

を説明する必要があり、

「どのような過程を辿ったか」についてはなるべくユニークに語らなければならない

(菊地 2017)

 

ということなので、

ひとまず今から長い道のりを改めてたどろうと思う。

 

皆様にはこんな経験はないだろうか。

 

目の前の人があくびをしている。

気づいたら自分もあくびをしている。

 

いわゆる「あ、あくびがうつったね、えへへ」

と呼ばれる、

通称「ハニカミ現象」である。

 

これは心理学的に言うとミラー効果とかいうやつで

まぁ、いろいろ理由があるのだけど、僕はそんな理由より

 

「物質の循環」が原因であると考えている。

 

つまり、あくびというのは、脳の中の酸素が足りなくなり、

酸素を確保しようとして、大きく口を開け、呼吸を行う生理学的現象である。

 

さて。

目の前の人が何かしらの原因で酸素が足りなくなり、あくびをするとする。

そうするとどうなるか。

僕が吸うはずだった空気が薄くなり、結果自分も酸素不足になり

あくびが出る。

 

これが「ハニカミ現象」の真の原因である。

 

そしてそれは誰かが誰かの空気を吸い、そして

また吸われた人がまた誰かの空気を吸う。いつか、最初に吸った人がまた吸われる。

まさに循環である。

 

空気ではなくても、お金だってそう。

誰か与え、もらい、譲り合い、あるいは奪い合い、

取られた人からはお金はなくなるが、

そのお金そのものはなくなるわけではなく、取った人のものとして

また使われる。その繰り返し。

 

こうして地球は回るし、世界は成り立ち、歴史は形作られ、そして未来へ続く。

 

なんて公平な世界なのだろうか。

 

いや、

違う。断じて違う。

 

吸われたら、吸う。

取られたら、取る。

 

いや違う。

世の中には

Aさんに吸われ、Bさんのを吸おうと試みるが気づいたらBさんに吸われてしまう

とてつもなく運が悪い人間がいるはずである。

ある一部の人たちから循環がはじまって、

そしてその人たちにはその循環の番が回ってこない。

そういう人だっている。

 

そう、すなわちそれは「僕」という人間である。

 

今日はそんな僕の話をしよう。

 

 

 

僕がこの国に来て半年が経った。

基本的に僕が海外に出ると、

なにかしらのメンドくさいトラブルに巻き込まれるのが常である。

 

初めてのバックパッカーには

現金ほぼ全て、カメラ、等をぶんどられ、

インドに行けば騙され、意味不明な病に侵され、

ヨーロッパを回れば、クレジットカード、現金、パスポートをパクられ、

天災、人災、問わずいろいろなものが毎回降りかかる。

 

ある人は言う

「きくちってさ、カモ臭がでてるよね」

 

確かに

すでにパナマではアイフォンをパクられ

パナマの経済のために寄付してはいる。

 

そんな僕が今回旅行に行きました。

 

僕が現地の空港に着いた時、

空はどんよりしていて、小雨が降っていた。

 

(もちろん、出国する空港に行く時だって、なぜかバスが45分間こなかったり、間に合わないからっていって、乗ったタクシーが高速道路乗るための機械を搭載してなかったり、タクシー乗ってちらっと後ろ見たら空港行きのバスが来てたり、大きな渋滞に巻き込まれたり、事故現場を目撃したりして空港に到着したのは離陸15分前だった。そう言う時に限って麻薬検査や、荷物検査に捕まり、空港にいる警察に取り調べを受けたりもしていた。)

 

予定では次の日に田舎へむかい、

登山等を楽しむ予定ではあった。

 

だかしかし、

次の日、バスターミナルに行くと、

入り口にいたやつに

「バスがない」と言われる。

 

ははぁーん。

 

はいはい。またいつもの手口ね。さすがにもう騙されないぞ。

とシカトし、窓口へ。

チケット見せると勝手に返金手続き。

 

え?

 

「台風きてっから、道全部封鎖」

 

何事もなかったように首都に帰り

一週間、ただただ、生活をした。

 

村上春樹的に言うと。

 

僕は毎日、目がさめると、タバコを吸いながら外を見た。

遠くに見える山が、青々しく、すっと、地球にあぐらをかいているようにどっしりと構えていた。

在るように見えてもそれは手の届かないもので、僕は山の土を踏みしめることも、匂いを嗅ぐことさえできなかった。まるでそれは見たこともない風景の絵画に想いを馳せる少女のような気分だった。

そんなことを考えながら、いつものように簡単な朝食をすませた。

 

 

さて、

そんなこんなで

パナマに帰国したのですが

お、今回はトラブルなかったなー。ふふん

(上述した出来事ぐらいじゃもう驚かない)。

 

 

ぴろりーん。

親からのメール。

 

「あんたなにそんなにお金使ってるの?」

 

見てみるとクレジットカードから8万円の請求。

あれー?

でもクレジットカードで航空券買ったし、お金も降ろしたし、そんくらい使ったか。

 

「旅行だもん多分そんくらい使ったー。問題ないよー」

 

でもまぁ、気になるもので。

一応、8万円が使用された名目をコピーアンドペーストして

グーグル大先生へ。

 

検索結果。

 

 

エチオピア

 

ん?

 

えちおぴあ。

 

んん?

 

エチオピア?はて?

僕はエチオピアに行ったっけ?買い物したっけ?

 

 

いや、行ってないですやん。

 

というかエチオピアって年に2回思い出すかどうかで

行きたい!!と思ったこともないですやん。

おかしいな(1あうと)

 

むむむ?

(ひらがなの「む」ってなんでこんなにかわいいの?)

 

ついでに今月の使用履歴見てみよ。

 

あれ。僕ヨーロッパに行ってるなぁ。

なんかチャリンコ3台くらい買ってんなぁー。

 

ん?あれ?買ったっけ?つか行ったっけ?

 

いや行ってないですやん!!

チャリンコ3台あっても意味ないですやん!

 

おかしいな。(はい2あうとー)

 

つかまてよ。その日

僕は旅行先でタバコを吸いながらぼんやりと本を読んでた日じゃん!

なにこれ。

 

その時単純明快な答えが。

 

あ、これ、不正利用ってやつですね。

 

はい

3あうとー!!チェンジ!

むしろ最後にトリプルプレー食らって

5アウト!

 

使用合計金額

約30万(限度額マックス)

の請求がきてるよ。

ふふふ。

 

ということで。

以下は

クレジットカードが不正利用された時、

どうしようか

という話です。

VISAカードの話ね

 

さて、

みなさまご承知の通り、

クレジットカードを盗まれた。紛失した。不正利用されている

等々が起きたら何をするか。

もちろんカード会社に連絡ですね。

 

もちろん。

ここは外国。

 

どうやって電話かけよう。

携帯からじゃお金が馬鹿高い。

 

あ、そうだ。

コレクトコール!!!

 

説明しよう。

 

コレクトコールとは

「正しい応答」

まぁ、つまり

「ファイナルアンサー」と異母兄弟。

 

 

ということで、

着信者側がお金を払うサービスのコレクトコールを使って

電話をかけることに。

 

しかし、

ここは外国。

日本への国際電話、コレクトコールってどうやってかければいいの?

 

ググって見たら、

 

KDDI

が日本語対応で

コレクトコールをしてくれるらしい!

 

つまり

僕→KDDI→僕がかけたい相手の番号や名前を伝える

KDDIがカード会社にそれを伝える「なんかきくちってやつが電話したいってさー繋いでいい?」

→相手「いいよ。」

→僕とカード会社がお話しする

 

こんな流れ。

ふむふむ。

 

ならそうしよー

早速

国際電話 コレクトコール

で検索して

KDDI

へ電話。

 

僕 あのーすいません。

KDDI はい

僕 コレクトコールかけたいんですが。

K はい。かしこまりました。どちらの国からどちらの国へですか?

僕 パナマから日本です。

K 左様でございますか、少々お待ちください。

・・・・

K あ、パナマにはサービスしてないですね。無理っす。

 

え。

え。え。

 

なにそれ。

 

というか!中南米ほとんどサービス範囲外!

 

これ、多分JICAボランティア泣くよ!

つか僕泣いたよ!

 

運良く、KDDIコレクトコールサービス範囲内の人はこれでおっけ。

 

 

さて、違う場合。

 

1 固定電話からフリーダイヤルにかける。

 

。。。固定電話なんてあるわけないだろうガッ!

却下!

 

ホテルにあるって。

 

・・・ホテルなんてもんはこの村に存在しない!

 

 

2 スカイプを使う。

 

なんとスカイプから国際電話がかけれる!

わーい!よかったー。

 

・・・スカイプ、フリーダイヤル対応していないんかい!

 

却下!

 

あ、でもスカイプでクレジットを(わかりやすく言えばポイント)買えば

電話かけられる。

しかも、日本の国内電話と同じくらいの値段。

これならいいやん!

 

・・・いやだから今、クレジットカード使えないんじゃい!!!

 

却下。

 

あ、まてよ

僕もう一枚カード持ってるやん

ふー。びっくらこいた。

 

・・・・なんでJCBのカード使えないんじゃい!!!

 

やっぱり却下。

 

 

ということで、

自力で頑張ることに。

 

僕の持ち物。

WIFI

現地携帯

パソコン

アイフォン

 

ここでひらめきワンダーランド。

あ、そうか。

わかった!

 

現地携帯でKDDIじゃない現地の会社にコレクトコールお願いすればいいのか!

 

パナマのコレクトコールをやってくれる会社はどこかなー。。。。

 

・・・ないんかい!!

 

いやあるんだろうけど、

ホテルとかに行かなきゃわからないらしい。

 

・・・・いやだからホテルあったらもう行ってるわ!!

 

 

・・

あ。いいこと思いついた。

多分これが一番現実的な解決方法。

 

ふと

僕は現地携帯で

国際電話をかけたのです。

visaのカスタマーサービスに。

 

僕 電話かける。ぷるるるる

V「お電話ありがとうございます。こちらはVISAカスタマー・・」僕「すいません。かけ直してもらっていいですか?」 

 

これ。

最強。

 

もちろんもっと丁寧よ。

事情を1分くらい説明しましたからね。

そしたら、

かけ直してくれました。

 

そう。古典的な解決方法。

発信者になるんではなくて、

受信者になればお金はかからない!

というかコレクトコールのややこしさ等は一切なくなる!!

 

もちろん説明する時にある程度お金もかかるけど、それはもうしょうがない。

 

そうして僕は

 

カスタマーサービスではカードの状態や補償の相談はできないので、

そのままVISAカードへ電話を転送してもらい(受信者状態のまま)

無事に話すことができたのでした。

 

 

これって。

倫理的にはどうかわからんけど

かなり現実的な方法かと思われる。

 

 

さて、

今回、僕の状況は

カードは手元にある。

落としてもない。

ということは

カードの番号や情報が流れて不正利用されたってことですね。

 

不正請求されている金額は

今からカード会社の調査が入って

不正とされてたら無効、引き落とし済みなら

返金という手続きになります。

 

もしこれが、

荷物ごとパクられてたりしたら

警察に行ってポリスレポート(事故があったよ証明書)

もらわなくちゃいけなかったりとかで大変ですよ。

経験談

 

ベトナムチェコでは

ポリスにお世話になりました。

 

ベトナムのポリスは手伝ってくれなかったから

自分でポリスレポート作り上げたけどなっ!!

 

 

ま、とにかくも

そんな感じで

海外でやらかされた場合、ネックになるのは電話。

本人からしかできないからね。

 

だからこそ、

1 KDDIコレクトコール対応かどうか。

2 ダメならスカイプ(クレジット購入)

あ、日本の友達に頼んで、コンビニでプリペイド買ってもらってそれの番号を写メってもらうっていう方法もあるよ。最近はやりの詐欺と同じ手口だけど。

 

3 それでもダメなら現地電話で掛け直し

4 最終手段、現地のホテルに突撃。

 

 

くらいですかね。

 

 

以上。

いつか誰かの役に立てば。

いや、立たないほうがいいか。

 

 

「あるいは僕が神に願うこと」

それは

 

お金返ってきて。

 

 

またね。

「神はサイコロを振るか。」のこと。

こんにちは。

菊地です。

 

先に謝っときます。

 

みなさんごめんなさい。

 

 

 

 

ついに恐れていたことが起きました。

 

やられました。

空き巣です。

 

 

 

時を遡ること1日。

 

昨日の夜23時をまわったころ。

 

お昼寝をしていたせいか、なかなか寝付けず

 

ベットでごろごろしてた時

 

 

ガタガタガタ!

ごとん!

 

明らかに物音がリビングの方から聞こえてきました。

 

 

・・・っ!びくんっ!

 

心臓は高鳴り、頭はぐるんぐるん。

何が起きているかわからず

っえ?え?え?!

 

ただ一つ、言えること、、、

 

何か・・・、いや、誰かいる!?

 

しかし玄関を開けた音はしなかったはずっ!

窓!?

いや、無理だ。物音せず侵入するなんて無理だ!

 

頭の中ではそう思いつつ、恐怖でベットの上から動けず。

今ココで寝室に入ってこられたらやばい!

それに、蚊帳に入ってるから身動きも取れない!

 

・・・ここは中南米、、銃!!??

 

やばい。。逃げなきゃ!どうにかして!

 

 

そう思いながらもリビングの方から物音が聞こえるような気がして

 

怖くて、

まるで金縛りにあったように動けない。

 

「。。ふ。。。なんだ。。。これが・・恐怖か・・」

 

とか中二病を発病する余裕もなく

純粋にびびる。

 

どうにかして蚊帳から出て

寝室とリビングをつなぐ扉に近づく。

 

ホラー映画ならここで扉を開けた瞬間に

目の前に。。。っていう展開。

 

ごめん。そういうの絶対無理。いや本当に。

 

そこで扉を開けず、むしろ鍵をかけ、さらに体でブロックし

開かないようにする。

 

自分でもびっくりするくらい、

心臓は鼓動を早くし足はガックガクと震えていた。

例えるならそう、

 

子どもがゲームのボタン(AボタンとBボタン)

を連打するくらいのスピードで。

 

 

そこで物音を探る・・・

・・

・・

なにも聞こえない。

向こうも様子を疑っているのか?

 

そこであえて物音を若干たて、また寝室の電気をつけ、

起きてるぞアピールをする(扉は閉めたままで)

 

そして何分経っただろうか。感覚がわからない。

全身が汗にまみれた頃、

そっと扉を開け、照らす。

 

誰も、いない。

変化も・・ない?

 

気のせい・・?

 

束の間の安堵を味わいながらも

 

拭えない恐怖が粘り着く。

 

またくるかもしれない・・

ゆっくりと全ての戸締りをし、

寝室の窓、鍵を全て閉めて

音楽を爆音に流しながらベットで朝を迎えた。

 

 

昨日のことは気のせいだったことにして

 

何事もなく1日を過ごす。

 

そして昨日のことなど完璧に忘れ、

久しぶりのサッカーに向かう。

 

ただ、偶然降った雨で

地面がぬかるんでいて、

普段よりちょっとだけ早く終わり家に帰る。

 

 

・・・!!?

 

・・・愕然とした。

 

 

扉が・・・開いている。

 

 

一気に昨日の出来事がフラッシュバック。

 

。。。まさか。。。

 

恐る恐る、扉から中を覗く

部屋の中でゴソゴソと動く気配がある。

ーーーーいる!!

 

 

まさか、昨日の物音は外から部屋の構造をのぞいていたのか。。。!?

 

 

どうすべきか。。

でもサッカー終わりでメガネがない!

 

多分これじゃ戦えないし、どこにいるかもよくわからない!

どうする・・・!?

 

 

悩んだ末に

僕の脳内では

「いや、つか、いつかは家に入らないとお互い困る」

 

といういたって平凡な結末を迎え、

 

まぁまぁ大きな声を出して突っ込むべき!!という

答えを出し、

 

ダダダっ!

と玄関へ侵入!(靴はちゃんと脱いだよ。日本人だからね。)

 

しかし!気づいてしまった。最大の落とし穴。

 

えっと

 

こう言う時はなんて叫ぶんだろう。

 

というか何語を叫ぶべきか・・・?

 

 

というパラドックスにぶつかり

 

・・・う、ううおおぉぉ?

 

不安要素全開の声を携えて

 

突撃。

 

すると部屋のなかにいたもの(裸眼のせいかどこにいたのかは本当に見えなかった)

猛然と僕の方へ突っ込んできた。

よく見えず、ビビってしまい、怯んで後ずさる。

 

そのスキにやつは

ダッシュしぼくの脇をすり抜け

扉から出て行った。

 

呆然とし、

追いかけることもできず、

 

まずは家のなかのチェック。

 

パソコンは無事だった。携帯も。身分証も。

金目のものは取られていなかった

 

寝室まで、チェックしたが

むしろ部屋はそこまで荒らされた形跡はなかった。

サッカーがいつもより早く終わり

きっと奴の予定より早く帰ってきたからかと思われる。

 

ふぅ。。

どうやら無事か。。。

 

 

・・・ただ一つの、そして大きな被害をのぞいて。

 

 

気づいたのは、部屋の無事を確認した後

犯人がまだそばにいるかもしれないと玄関の扉を確認した時だった。

 

っっつ!!!!?

 

そこには僕の大事なものが無残な形で落ちていた。

 

 

・・っおい!おい!まじかよ!

おいっ!死ぬなっ!

おおおおおおおいいいいいい!!!!

 

 

そこに転がっていたのは

今日の夜食べようと思って机の上で自然解凍していた

 

ひき肉。

 

 

詳しく言うと、スーパ99という場所で買った

400g300円くらいのひき肉。

 

あえて言うならば、今日の晩御飯はタコスの予定だったため

カレーパウダーと混ぜて炒めて、

 

トマトは1cmくらいの角切りに

玉ねぎは細かいみじん切りにして

それといっしょに包んで食べるはずだった

 

ひき肉。

 

 

悲しみと絶望と怒りに震えながらも耐え、

 

もはや冷たい肉の塊と化した(まぁ、もともとだし、凍らせたのは僕)

 

ひき肉を僕は窓から思い切りぶん投げて誓った。

 

あのキツネめ。今度家に入ってきたらぶっ飛ばしてやるからな。

 

 

ということで。今日の晩御飯は

野菜オンリータコスです。

 

 

。。。ごめん。

 

いや、

あのね。

違うんだよ。

本当に怖かったから。

 

というかね。僕の家、ジャイカの安全管理の人が見たら

腰を抜かすくらいセキュリティスッカスカだから!

 

カーテンねぇ!扉はしょべえ!鍵はあるけど100均だ!

(フィーチャリング:吉幾三

 

 

あ、

やばい。

楽しくなってうだうだ書いちゃった。

 

でも昨日の物音はマジで怖かった。

何だろう。。。

 

 

あのね。ほんとはね。

タイトルにあるように

 

「神はサイコロを振るか」

(以下真面目)

 

について語りたかったんです。

つまり、

神は全ての物事、事象の決定権を持つか、知りうるかということです。

 

例えば、「シュレディンガーの猫

 

知ってます?

 

ざっくり。本当にざっくり言うと、

 

中の見えない箱の中に猫がいて

 

その箱にはもしかしたら毒ガスが出るという仕組みになっていて

それがもし作動したら、猫は死ぬ。

 

さて、その箱を

見つけたとしましょう。

 

さて、猫はどの状態でしょう。

 

死んでいるのか。

生きているのか。

 

開けるまでは

わからないよね。

 

つまり、箱を開けるまでは

猫は死んでいる状態であり、かつ、生きている状態という

2重の状態、誤解を恐れず言うならば

矛盾している状態である!どどん!

 

という議論ね。

これを巡って

まぁ、いろいろと面白い議論があるんだけど

例えばタイトルの、「神はサイコロを振らない

アインシュタインの名言だと僕は思います。

さぁ、それがどう言うことか、

実際どうなのか、

ということをね、この空き巣事件に関連させて

考えてみたかったのである。

 

つまり、シュレディンガーの言うように

僕がリビングの扉を開ける前

サッカーをしていて狐に出会う前、

僕の家には空き巣がいる状況といない状況が同時に存在していて。。。

みたいなね。

 

身近なことと哲学を結んで見たら、

難しいと思っていたことが意外と面白く見えちゃうのがこれまた不思議。

 

 

でもだらだら書きすぎたからもうやめる。

 

 

。。。タコスくお。

 

もしこういうのスキな人がいるなら

書こうと思う。いつか。

「教育ってやつとパナマってやつ」のこと。

運河の国からこんにちは。
8月ですねー。
なぜか僕の家の周りはこの3日間はお祭りみたいで
 
やれ音楽、やれ地響き、やれ爆竹
が夜通し行われており、なかなかファンキーな週末でござんす。
 
そんなわけでパナマに来てから大体5ヶ月くらい経ったわけです。
 
ちいっとばかしパナマ文化やスペイン語やらに慣れてきたのかもしれません。でもやっぱりコミュニケーションは難しいね。まだまだスムーズに会話が。。。というか意図を汲み取ることさえ難しい。おそらくこれは1人暮らしでyoutubeをひたすら見ていることが原因であろうと推測される。
 
ま、いいか。
 
だって、好きな時に好きな場所で音楽聴きながらタバコふかしてうはうはできるんだよ!ご飯もフリータイムでおうちもカスタム可能なんだよ!
ピアノの森」(漫画)のカイ君のように家の壁(コンクリ?)に鉛筆で、チョークで好きなように落書きできるんだよ!単語とかぽりぽり書けちゃうんだよ。
壁に穴あけようが、釘打とうがフリーなんだよ!多分!
レンガとか木の板拾って来てなんとなく棚作れちゃうんだよ!
間接照明とか置いて「オサレな男」演出できちゃうんだよ!
 
なんにもないからなんでもできる。
 
うん。まさしく。
(まぁ、まだなんにもやってないけどね。勇気なくて)
 
 
そうそう、暇だからたまには真面目に活動している風なことを書こう。
 
まぁ、いつものごとく僕のなんの根拠もない
教育のことなんだけど。
 
 
さて、こっちの学校来て、思うことがありまして。
まぁ、それはすなわち教育のことなんですけど。
(別にどうでもいいことなんだけど)
 
あ、先に言っておくけど、
別に結論もなければ得られるものもなく、
むしろその後に不快感がまし、パソコンや、アイフォンの電池を使い、かつ、時間を失ったという事実だけが残り、
 
あるいは、「このお盆の時期に何してしまったのだろう。。。先祖代々の皆様が必死に働いて、生きてくださったおかげで、今私はこの時間を生きていることができるのに、私としたら。。。あぁ、二酸化炭素を吐き出して、限りある電力、資源、時間を費やして何も生産せず、、、あぁ、なんてことを。。。このような不甲斐ない子孫で申し訳ございません。お許しください」ととてつもない後悔の波が訪れること請け合いです。
 
要は
1000害あって一ミリ利なしです。
 
 
さて、保険をかけたことだし。
 
 
日本の教育ってさ
(とここでひとくくりにすると怒ってくる人いるかもだけど言葉の綾ってことで流しておいてください)
 
やれ、生きる力とか、考える力とか、協調性とかをさ、こう、強調する節があるじゃん。
(あの、言葉の定義とかいちいちしてないからね。わからないし、というかわかるなら僕は今すぐ学者になります)
 
いや、それはすごい大切なことだし、
僕も生まれてこの方そういう教育にしか触れて来なかったわけですし。
小中高でその教育を受け、大学ではその尊さを知り、院ではそういうことの研究をちょっとだけして。
 
というわけで
完全に僕の中の教育のベクトルは
学力、点数なんてふぁっくだぜ
という方向へ突き抜けているのです。
 
だから
はしもとさんが学力重視!とかいいだした頃は
何言ってんのこいつ!とかまぁ、思ってたわけですよ。
 
でもね、言っていい?
 
ごめんなさい、はしもとさん、あなた「も」正しい。
 
点数主義には未だに懐疑的だけど
少なくとも学力(基礎学力ね)めっちゃ大事。
 
僕の心変わりの様子を
パナマの教育事情に即して説明しようと思いまする。
 
 
当初僕がパナマに来たのも
 
「学力上げろ。特に算数」
 
という要請を受けて来たわけですよ。
くる前は、いや、正直学力とかどうでもいいっしょ。むしろこう
日本文化とか、世界の広さとか、世の中の面白さとかいろいろ知る方がよっぽど大事やん。って思っていたのです。
 
でもさぁ、いざ学校で授業見たり、授業したりしても
なんかこう、しっくり来ないんだよね。
 
うん、つか、ぶっちゃければ
 
学力が低いんだよね。
 
普通に足し算できないやついるし、プリント作ってもちゃんとやらないし
こういう感じ。

 

f:id:tokotokok-k:20170813014432p:plain

5年生。
 
ちょとまて、6+1=7はできてて(左上)
何で8+1=80やねん(右下)

 

絶対最後らへん飽きてるだろ。
 つかそもそも足し算ってなにか知っているのか?
 
という子たちがちょいちょいいるのです。
 
ここが一番難しいよね。
 
学力というか基礎能力に差がありすぎる。
できる子は普通に満点とる子いるからね(少数だけど)
 
 
だからこそ、教え方ってすげー難しいよね。
だからとりあえず僕はできない子にはその子用のプリント作ったりして
どうにかごまかしごまかしやってるわけです。
 
(別にパナマをバカにしてるわけでもこの子をバカにしてるわけでもなく
純粋にこういう子がいるという事実を踏まえて、
さぁ、どうしようか。っていう話ね。)
 
って、まぁ、僕の話はおいといて、
 
要は、足し算ができない奴に
やれ、生きる力だ。とか、協調性だ。
とかって机上の空論というか
 
無意味なんじゃないかとおもうんだよね。
基礎学力が基盤にあって、そこからようやくそういう分野に目を向けられるようになるんじゃないかなぁ。。
 
と思ったのです。
日本があんなに
学力だけじゃだめだ!
教室の外に出ろ!みたいなことを言うのは
 
それはそうよ、だって、みんな足し算できるじゃん。
 
すくなくとも8+1を80とは書かないでしょ。
せめて「8」とか「81」って書くでしょ。
それはまだまだ希望に満ち溢れてるよ。
 
ただの計算ミスかもしれないし掛け算と間違えたかもしれないし、
単位を間違ってるだけかもしれないだけで
「数字」とか「足し算」の感覚を
ある程度は理解してるんだもん(多分)。
 
 
やっぱり基礎学力があるから言えること、目指せることってあるんだろうね。
 
応用力もそう。
例えば掛け算を教えた時だって
 パナマではこんな感じ。
 
き「2x1は2だね。じゃあ2x2は?」
 
子「わかんない。まだ習ってない(覚えてない)」
 
き「でもさ、2x1は、2が1つあるから2。同じように2x2は2が2つあるってことだから、
2x1の答えに2を足せばいいんじゃない?」
 
子「2+2ってなに?2?3?それとも4?」
 
き「えっと・・・(ちーん)」
 
こう言う状況が起こりうるわけですよ。
実際に似たようなことはちらほら起きるけど。
 
こう言う子どもたちに
学力よりも生きる力だ!
とかほんとに言えるのか。ってことだよね。
 
足し算ができない子どもの生きる力ってなに?
 
こんな抽象的なことは言いたくないけど
社会では生きていけないよね。まちがいなく。
 
子どもを、自由に、学ばせよう!
学力以外のことも大切だ!
って
 
教育の歴史がいうように、
広田照幸がいうように、
 
教師の責任逃れ(「という一面性もある」として保険をかけておく)かもしれないよね。
 
 
もちろん、
学力主義を排撃してそれ以外が大事!
ってわけでもなくて、どちらも!という教育にありがちな
どっちつかずのずるい回答もあるんだろうけど。
 
でもさ、どっちを先にしますか?どっちが土台になりますか?
って言ったら基礎学力なんじゃないかと。
少なくとも四則演算が普通にできるまでは。
 
 
そういうことをパナマの子どもたちをみて思ったんです。
 
 
って考えて
 
こっち来て
日本の教育みたいなものが改めて俯瞰できたような気がする。
 
当たり前のようにみんなに最低限の基礎学力があるからこそ、
基礎学力のことをあんまり深く考えてないと言うか
ないがしろにしてはないけど、重要視していないというか
そんなふうに感じたのです。
 
すくなくとも声高らかに
学力なんてふぁっくだぜ!
とか言ってた僕に
「雪崩式牛殺し」喰らわせたいです
     ↓

f:id:tokotokok-k:20170813021131g:plain

(別にプロレスは好きでもなければ詳しくもありません)
 
 
 
えぇ、そのとおり。書くのに飽きてきました。
 
 
これは僕の持論ですけど
 
教育が好きな人、語る人、勉強する人
総じて関心がある人ってさ
 
教育に対してとっても前向きで希望を見出す人と
ニヒリズムというか
絶望、懐疑的、いや、つか教育って怖いよね、おこがましいよね。
って思う人に分かれそうだよね。
まぁ、少なくとも僕は後者です
(この先にどうにか光を見出そうとは思ってるけど)。
 
 
まぁ、そんな感じで
ぼくはいきてるよ。
 
(この飽き具合たるやあっぱれ)。