「きまぐれ」のこと
チャリ旅で立ち寄った京都の大学。そこでやっぱり衝撃を受けた。
なんて楽しそうなんだろう。
タバコもバイクも車も
販売もギターも関わりもなんてフリーなんだ。
そういうのを通して
やっぱり大学って楽しくなくちゃ。と思った。
ということで自分の大学を考えてみた。
もちろん大学によってはルールも設備も環境も違うし、個人差があるからから一口にはいえないけど僕個人的にはあんまりおもしろくない。
教育学部しかいないし、みんな同じことやってるし。
なーんてことを思っていたけど
でも改めて考えてみれば面白いメンツそろっているよな。
音楽専攻がいて技術専攻がいて、数学から言語までいて
まさか教育学部のみという「それだけ」というものが捉え直すと「こんなに」にかわった。
いやぁおもしろい!
みんながそれぞれの味を出して共有してそれが循環したらむちゃくちゃ面白くなんじゃねぇの!?
音楽の人が歌を歌いだして、美術、技術がモノを生み出して、家庭科がおいしいもんつくって、言語が言葉を紡いで、数学、体育はなんかよくわからんけどのりに乗って
みんがそれを表現したらすげーワクワクするんじゃねぇかと。
あとは場だけ。
前置きが長くなったけど
ということでイベント(場を)を開く訳です。
あ、大学ってこんなことしていいんだ。
その単純なことが足かせになっているのではないか。
だから僕はこんなことをする。学務にも怒られる。
でも、やる。(ちゃんと許可ももらったよ。)
今は何あれ?となるかもだけど
だんだん日常化してきたら自然となにかをすることに抵抗がなくなって行くんじゃないかな。
そしたらきっと循環がはじまるのではないかな。
「0から1」
それがテーマ。
きれいな所にゴミは捨てないけど
ゴミが落ちている所には捨てちゃうでしょ。少なくとも抵抗は減る。
人は便乗するのが良くも悪くも得意でそれは集団心理が働くからなんだけども
ただ、一番最初に手を上げるのはなかなか難しい。
だから少しずつそういうのをおこがましいけど僕ができたらいいかな。と。
でもこんなカッコつけながらも
無理はしない。
気分が乗んなかったらやんないしめんどくさくもやらない。
義務感も感じなければ使命も感じない。
これで終わるかもしれないしずっと続くかもしれないし。
だって頑張る必要なんてないじゃない。金ももらえないしむしろ出費かさむし
楽しみたいの。それだけよ。
だから無理はしない。
だから
きまぐれ
なのさ。