中南米のひまじん。

不登校→大学院→青年海外協力隊→パナマ=ひまじん。スペイン語勉強中。そんな暇でしょうがないひまじんが、意識高いフリしてなんかする。

「仕事」のこと

あっという間に二ヶ月ぶりになりました。

さぼりました。すんません

  

さて、仕事についてなんですが、最近思うことがあるのです。

 

僕は今バイトをやめてまぁうだうだしてるのです。

まわりからニートかとか暇人だなってわいわい言われたりもする。

 

でもね、僕の生活は基本的に誰かのためにご飯を作って、掃除もしてる。

自分だけなら妥協してもいいんだけどちょいちょいといろんな人が来るからする。

誰かにあげようなんて思ってプリンやゼリーとかもふと作ったりする。

 

でね、考えてみたらこれってお金をもらってないだけで割と働いてんじゃないかと。

 

いや、これは単なる屁理屈を並べて自分を正当化しようとしてるんじゃなくて

もっと深い「仕事」について考えたいと思ってる。

 

仕事は誰のためにするのか?

 

という話はよく聞くかもしれない。例えば教師を目指す人は生徒のためだとか言うかもしれないし、他の人は自分の経験や学びになるかもしれないから自分のためとも言うかもしれない。

僕はどっちでもいいと思う。

情けは人のためならず

についても解釈が二つあるようにそれは自分なりの意味でいいと思う。

で、なにがいいたいかっていうと

正反対のことをいいながらも共通項があるよね

それは「〜のため」ってとこ。

つまり仕事とかそういうものはなんかの為にやってるんだということ。

自分でも家族でもどっかの誰かのためにする。いわばそれがやりがいってことにつながるのかもしれない。

そういうやりがいが無い仕事っては根本的に存在していないと思う。

しかしその人の意識でやりがいは消えたり、増えたりもする。

 

うーん

ややこしくなって来たから初心に戻る

 

つまり仕事ってお金をもらえばいいの?

 

機械のようにぼーっとただ、時を過ごす仕事と

お金はもらえないけど家族のためにせっせとご飯を作る

お母さんは仕事として認められないのか?

 

僕は仕事ってのはお金を稼ぐものとしてのモノではないと思います。

よっぽど主婦の毎日の仕事のほうがお金はもらえなくても価値がある。

 

お金よりも価値がある仕事。

そんな仕事をしたい。そんな風に向き合って行きたい。

今自分が目指してる職業にそんなふうに向き合えるのか日々模索中。

 

人生は急いでもいいけど焦るなって言いますけどその通りです。焦ったらもったいないぜ。

いろんな人の話や世界を聞いてみて、少しずつ選んでいきたい。生きたい。

 

すっきり。