中南米のひまじん。

不登校→大学院→青年海外協力隊→パナマ=ひまじん。スペイン語勉強中。そんな暇でしょうがないひまじんが、意識高いフリしてなんかする。

「15年前のぼくと、まだ見ぬ誰かに伝えたいこと」のコト

 

ようやく、紀要論文が完成しました。

ちなみに兵庫教育大学紀要第49号に載る可能性が高いらしい。
タイトルは「LINEスタンプを用いたコミュニケーション特質」です。教育関係ないじゃんって言われればそれまでですが、まぁ、そんなことは別にいいじゃない。
一応共著です。
調査はみんなでやりましたが、
草稿、原稿、修正を担いました。
あ、別に「凄いでしょう。頑張ったでしょう!苦労もしたんだよー!」ってことをアピールしたいのではなくて目的は20行くらい下に書いてます。
 
でもちょっとくらいその苦労や頑張りを自慢させてください。
ぼくだって欲張りな人間です。
 
執筆活動は本当に大変で、妥協してたり、くじけそうなとき、NHKの番組「プロフェッショナル」(ある作曲家の回だったんですが)で、「ぼくには才能なんかない。世の中の人みたいにインスピレーションで曲を書けたり、ある日にあ!って浮かんでくることなんてない。答えは目の前にあって、どれだけそれに向き合えるかだ。いつもぎりぎりのところで苦しんで戦っている。僕は作曲家じゃなくて努力家だ」(だいぶ菊地訳が入ってますがだいたいこんなこと言っていた)
という言葉に心をビンタされ
 
その日から来る日も来る日も書いては直し、書いては直し。
向き合って苦しんでようやく。
本当にようやくここまできた。
 
執筆を始めたのが2月くらい。
でも研究としては10月から始まって、どうにか締切の前日に書き上げることができました。書き直した回数なんて覚えちゃいない。
ジョジョで例えるなら「貴様は今まで食べたパンの枚数を覚えているか」(主人公のジョジョの「今まで何人の人を殺してきたんだ」という質問に対してのDIOの回答)
 
という感覚です。わかります。DIOさんその気持ち。
まぁ、それはいいとして、
 
論文としてのクオリティは正直言ってそこまで
高くないと感じています。
だけど、自分の人生の中でこんなにひとつのことに
向き合って戦って苦しんだ日々は初めてで
完成した時のあの充実感ったらもう。ニヤニヤしちゃうやん。
 
でもそんなことはどうでもよくて(ようやく本題)
 
僕がこの執筆の話を受けたのはもっと別の理由があって
それは僕の過去にもつながるものであって。
 
前も書きましたが、
僕が大学院にいることは自分の人生の中でひとつの
意味をもつのです。それは学校に行かず、引きこもったり、フリースクールに行ったりして
中高も自森という環境で過ごした自分。
少なからず学歴とか、学力とかそういうものは僕の大きなコンプレックスでもあります。でも、そんなぼくが
最高学府である大学院修士(もちろんこの上には博士もあるのだけど)まできて、そしてひとつの小さいけど紀要論文を書くという確かな実績を残せたこと。
 
ようやく言えます。
 
家に引きこもっていて強がりながらも内心自分はダメなやつだと思っていた15年前の僕。大丈夫だったぞって。
以外とやれたぞって。だから安心しろってタイムマシーンがあれば
伝えに行きたい。
 
そんで、世の中の僕みたいな誰かにも伝えたい。
こんあアホな僕だけど、やれることがあって、社会に自分を刻むことができる。だから余裕でできるぞ。だから大丈夫だって。
落ち込まなくたっていい。
 
今まで口ではこんなこと言ってきたけど、
ようやく形あるものとして、背中で言えるようになったなぁ。
 
小さなことだけどおおきなこと。
 
ようやく自分のコンプレックスとか、自分の過去にニッコリと笑えそうです。もっと自分を愛せそうです。
 
分数のできない大学生を卒業し
分数のできない大学院生としての自分
でも、そんな自分も悪くない。
 
そんなぼく、就活始めました。
とってもおもしろそうなとこに。
 
そんなぼく、少し挑戦しています。
大学の時に夢見てあきらめたことに。
 
就活のこととか、挑戦のことは
また、いつかの機会に。