中南米のひまじん。

不登校→大学院→青年海外協力隊→パナマ=ひまじん。スペイン語勉強中。そんな暇でしょうがないひまじんが、意識高いフリしてなんかする。

「ここ最近の(結局はことばのおもしろさの)」こと。

どうも。お久しゅうございます。

きくぼーです。

 

あっという間に前回から4ヶ月経ってしまいまして。

まぁ、いろいろと思うところ、考えるところがあったので

そのご報告を徒然なるままに。

 

 

1「文体とか言葉の選び方」

 

文体ってめっちゃ面白いよね。(文体ってのは、要は口調みたいなもん。かな。)

 

最近ね、スペイン語のシャーロックホームズの一節を読んだのです。

「Ella es siempre para Sherlock Holms la mujer」こんな感じ。

Holms まで直訳すると

「シャーロックホームズにとって、彼女はいつだって(いつも)」

ってなるわけさ。

 

んでそのあとのla mujer.

mujer ってのは女性って意味で

 

La ってのは英語で言う the とか a なわけさ。the なのかaなのかはもうわからんから聞かないで。とにかく冠詞って呼ばれるやつ。

 

まぁ、それはさておき、

僕はこれをそのまま直訳して

「彼女はホームズにとっていつも一人の女性だった」

って読んだわけさ。

 

そしたらね、翻訳されているものをみつけて、なんて書いてあるのかなぁっておもったら

 

*シャーロックホームズにとって、彼女はいつも『かの女』であった*

 

ってあるわけ。(引用とかはごめん。めんどくさいからはしょる。)

 

か、「かの女」!!??なにそのうるとらC の訳し方!

 

「この」でも「あの」、でも「一人の」でもなく、「かの」!?

もうね。天才か、と。

 

仮に訳しが、「一人の女性だった」だとしたら、

ふーん。あ、そう。モブキャラね。小学校とかで鬼ごっことかすると必ずいた

通称「ぶどうくん」(なんかそういう子どもの通称あったよね)。

 

いてもいなくても同じやつで、基本的にスルーされるやつ。まぁ、要するに僕。

 

 

って感じにスーッと流れるけど

 

「かの」ってなったら、え?彼女って誰!?

ホームズとなんか関係のある人なんですか?

え、誰?何?とか気になりだして

一気に物語の深みが増しますやん〜

となったわけです。

 

いやぁ、言葉一つの選び方ってむちゃくちゃすげーなと。

この言葉しかない!

ってやつをピンポイントで突いてくるんだから本当にすげー。

 

まさしく、

言葉を「知っている」のと「分かっている」の違いよね。

 

「かの」って表現を僕は「知っていた」けれど、

その言葉が持つ意味や深さを僕は「分かっていなかった」

そういうことです。

 

 

ということで

その2

「文体」

 

文体ってさ、すげーおもしろいじゃん。

なんていうか、この人っぽいナァーーー!!

ってやつ。口癖に近いと言うか、

みのもんただったら

「ふぁいなるあんさー」

だし、

わだあきこだったら

「あの鐘を〜〜」(違うか)

だし、

タモリだったら

「いいともー」

だし(実際に彼は言ってないけどね、フる方だけどね。)

 

まぁ、それはいいとして、

この人っぽいなぁ。。。を全力で出してくる小説家といえば

村上春樹でしょう。間違いなく。

 

もうね。

何回「簡単な食事」

を取る気なんだと。

何回「よくわからないな」

とつぶやくのかと。

どんだけ主人公根暗やねんと。

比喩がすごすぎてもうわけわからん。

 

みたいなね。

 

つまりその人の特徴があるわけです。

 

ということはだよ。

僕がその特徴をコピーすれば

村上春樹っぽく文章をかけるってことなんじゃないかと!

おもいまして

村上春樹っぽく書いたのがこちら。

 

ワード一枚分くらいを0から考えて書いて2時間くらいかかったわ

(なにかをみながら書いたのではなくて、そういえばこういう特徴あったよねぇ。。と思い出しながら書いてるだけだからまぁ、いろいろ許してファンの方。)

 

 

彼にとって食事の時間は苦痛でしかなかった。彼は食事に特に興味もなかったし、ただ毎日の儀式として淡々と行われるものであった。だから彼はいつだって簡単な食事しか取らなかったが、特に不満を感じることもなかった。

 もっとも、彼は食事だけでなく、生きることそのものに対しても無関心であった。彼にとって生きるとは河川敷に座って流れる川を眺める行為と同義であったし、ただ穏やかに過ぎ行く流れを見ることが彼にとって生きるということだった。情動や焦燥は彼の位置するところから生きることを挟んで対岸に位置し、彼の感心は、ただ川の流れに逆らわないように身を任すことにしかなかった。

 だから小学校2年生の頃に、母親がそろばん教室に通わせたがった時も素直に頷いたし、母親の満足する成績を取るようにしていた。また、先生やクラスメイトも彼にとっては流れを淀ませる要因でしかなく、さざ波を立たせないようにと3問に1問はわざと間違えることもした。

 もちろん彼にも性的な欲求はあったし、大学を卒業し、今に至るまで何人かの女性と性的な関係を持ったこともある。しかし、最後には必ず女性から、彼の生き方に対する暴言や皮肉を言われ、別れを告げられるのが主だった。時には何も言われていないのに、違う男性と肩を組んで街を歩く彼女を見たこともあった。それでも彼は特に何も思わなかったし、ただいつものように流れる川をずっと眺めているだけだった。

 だから姉が死んだと聞いた時も特に驚きもしなかったし、ラジオから聴こえてくるニュースとなんら変わりなく彼の耳に響いた。

 受話器越しの母親の声はいつもよりも甲高く、電話線を通じて唾液が彼の耳にかかるのではないかと思うほどだった。しかし、彼にとってその電話は別に煩わしいものでもなかったが、取り立てて彼の感情を揺さぶるものでもなかった。ただ冷静に、葬儀のことや、姉の家の引き払いなどの事務作業を滞りなく行うための段取りについて彼の頭は精力的に働き始めていた。

 「とりあえず一回落ち着いてからまた話そう」そう言って受話器を置いて、台所へ行き水を一杯飲んだ。彼にとって姉の死や、彼女の浮気も、ただ木の葉が川に流されることとなんら変わりのない日常に過ぎなかった。

 椅子に座り、これからの段取りについて思いを巡らせているとドアのチャイムが鳴った。彼はいささか怪訝な顔をして玄関を見つめた。おかしいな。この家の住所を知っているのは家族だけで友人は職場の人間には教えていない。それにNHKや新聞の集金は全て振込にしているし、宅急便が届く予定もない。したがって、この地球上に誰一人としてこのドアのチャイムを押す必要性がある人間はいない。居留守を使おうかと思ったがもう一度チャイムを鳴らされるのも不愉快だし、日を改められるのも不愉快だった。気だるそうに立ち上がって玄関へ向かう。そのタイミングを見計らったかのように、姉の声が響いた。まるでこの世界からあらゆる境界線が消え、全てが混ざり合ったかのように、脳内に直接語りかけてくるようだった。

 長いこと使ってなかった心臓が急に仕事を思い出したかのように血圧を上げ、彼の血管の流れを早め、自分の存在を確認するために鼓動を彼の身体中に響かせた。

玄関までの距離は3m程度に過ぎないが、彼にとってはドアまでの一歩は、まるで今まで眺めていた川を横断し、対岸に進むことのように感じられた。川の水を吸ったかのように彼のジーパンは久しぶりの汗で湿り始め、その足取りをさらに重くした。だが、彼には一歩、また一歩と進む以外の道はなかった。

 

 

こんな感じかなぁ。。。。

どうどう?10人に一人くらいは

「あれ、村上春樹ちょっと体調悪いけどなんか書いたん?」

くらいには取ってくれるんじゃないかと。

 

以下、キクチ的解説。

 

ポイントはさ、

主人公がちょっと変わっていて、頭がよくて根暗なこと。

あとは、とりあえず比喩りまくること。といっても実際にやってみるとむちゃくちゃ難しい。

入れまくると、文章の流れが悪くなるし、ぎこちなくなる。

やっぱりスムーズに違和感なしに比喩を入れるってのはすごいことだと実感。

それはさておき。

 

さて、比喩の中で、僕的に意識したのは

「川」とか「生きる」とか「感情」を並列において絡ませること。

後半に、主人公が今まで無関係であった感情とか生きることに近づく描写をしたわけですが、

つまり、今まで生きる=感情は川を挟んで向こう側にあって、

姉の死、または生存によって、その川を渡らざるを得なくなる。

そして川を渡る=生きること、感情に起伏に近づく、んで時に川の水と感情である汗がリンクする、といったところを意識しましたわけです。

 

あと

主人公の性格や、物語の静けさのため、

淡々と薄暗〜い感じで物語が進みそうだったから

姉の登場というミステリー風味を加えてみました。

 

それと

だいたい幼少期の話が出てくるよね。村上春樹

んで、だいたい無口でちょっと賢い。いじめられはしないけど、いじめもしない。

親の言うことをよく聞く。そんなイメージがあったのでなんとなくそろばん教室のくだりをいれてみた。(ちなみになぜそろばん教室かっていうと、英会話教室みたいなオシャレなやつより、地味な方がより村上春樹っぽいし、実際に僕が通っていたから。)

 

あとは女性の話、だいたいの主人公はモテモテではないが、基本的に女性にすかれる。

そして経験もある程度もっている。

でも、彼女に嫉妬やら執着は決してしない。というのがデフォルトだと思いましたので

このくだりも入れてみた。

 

あと、なんかあった時、だいたい水道水をコップ1杯から2杯飲む。

もしくはワインをちょっと。

(これけっこーあるあるだと思うんだけどなぁ。。)

 

まぁ、こんな感じかなぁ。。

さささっと文章に起こしてみたから幾分かの稚拙さが散見されるでしょうが

まぁ、それはご愛嬌ということで。

 

でもあーあるある!

って思ってくれたらそれでいいのです。

 

 

本当はね、

この文章をベースに、他の小説家の特徴をつかって書いてみたらどうなるんだろう

ってとこまでやりたかったのさ。

例えば森見登美彦のあのクソ天才的な言葉遊びのギャグセンスとかでやったら

一気に雰囲気変わるんだろうなぁ。。。って思って。

あと三人称から一人称にしてみたらまた見えてくる世界観がガラッと変わるんだろうなぁ。。とか

 

それが面白そうだから今回のブログを書こうと思ったんだけど

もうつかれたし飽きてきたらからいいや。

 

要はね、

言葉の使い方とか、文体ってめっちゃ面白いよね。

というかやっぱり言葉で遊ぶのとか、

文章を書くってのはクソほど面白い。

 

ってことを最近思ったんだよ。って話でした。

 

ちゃんちゃん。

 

近況をなんにも報告していないけど

そんなことはどうだっていいもんね。