中南米のひまじん。

不登校→大学院→青年海外協力隊→パナマ=ひまじん。スペイン語勉強中。そんな暇でしょうがないひまじんが、意識高いフリしてなんかする。

おおいなるひとりごと PART1 教育と経済

 

こんにちは。最近ブログ更新しないのでどうしたもんかと

思っていました。なにかネタないかなぁ。。。と。

頭を捻っていたら

そういえば僕が大学で個人的にというか勝手に配布している

「おおいなるひとりごと」というのがあるのです。

これは本当にただのひとりごとで月に1〜2回ペースで出しているのです。

自分でいうのもなんですが

むちゃくちゃ面白い話もあります。くっそつまらない話もあります。

まぁ。僕のひとりごとなんで責任はとれませんので悪しからず。

ちなみにどんな回でもA4一枚なので3分で終わります。

さらにちなみに

現段階でpart10まであります。後半にいくほうが面白いです。前半(part3くらいまで)はクソです。

 

 

 

             僕の大いなるひとりごと。PART1

                        

 これは僕の頭の中にある「面白いなぁ」を徒然書いたものです。なので、先行研究や学術的根拠はないです。特に興味のない人は読まずに食べてください。

 

・教育経済学的視点から

ふと、日本の経済と教育は非常にリンクしているなぁということを感じました。

 70年代における高度経済成長時、我が国は「もはや戦後ではない」の名の下に経済的発展を目指し、GDPなどの経済状況は著しく発展しました。しかし、その背景には新幹線教育・七五三教育とも揶揄される学力主義が教育現場に暗い影を落とすこととなりました(不登校児の増加)。また、現在、日本の経済は頭打ちとなり、GDPも中国に抜かれるなどの状況の変化が起きています。しかし、時を同じくとしてPISAの順位も下がり、日本の学力低下問題も叫ばれています(学力低下問題については多々論争がありますが、割愛)。

 そして、最もユニークなリンクだと僕が感じるのは、豊かさの問い直し、再出発と学力観の変化です。今までの経済至上主義の求める豊かさはいわゆる金銭的なものでした。そして教育においての豊かさは点数至上主義による学力でした。しかし、近年、経済は新たな豊かさを求める一歩を歩み始めたと言えるのではないでしょうか。金銭的な豊かさではなく、生活の豊かさ(ゆとりとも言えます、まさにゆとり教育とのリンク)や生活の質の向上(いわゆるクオリティオブライフですね)といった、金銭的なものではなく、精神的な豊かさを求め始めました。

この変化は教育にも顕著に表れています。かつての学力至上主義(経済とリンクさせるなら金銭至上主義)から教育観を捉え直し、新たな豊かさを求める変化が生まれています。代表的なのは総合的学習の時間や、生きる力ですね。また、文部科学省が豊かさという言葉を出しているのもユニークなリンクですね。

 つまり、カネカネ!(点数点数!)からお金だけじゃないよなぁ(点数だけじゃない学びがあるよなぁ)といったように変化が相互にリンクしています。これは単なる偶然ではなく、経済と教育は非常に念密に絡み合い、相互作用の関係にあると考えられるでしょう。しかし、歴史上、現実は経済によって教育が姿を変えるという一方的な関係に見えます。ですが、教育を変えれば経済も変わることもありえそうです。これはフレイレの論を参考にして考察したり、経済と教育のコミュニケーション論として捉えてみたりして考えたら面白そうですね。
 以上、特に根拠もない面白いなぁを書いてみました。雑文ですみません。

次回は神さまいるのか?論争についてのひとりごとです。

「アルバイト」のコト

こんにちは。

8月になりましたね。世間で必死で働いてる方もいるなかで

僕はアルバイトをしています。

 

大学で教員免許の更新講習をやっているので

それのバイトです。

 

 

まぁ、仕事内容は1時間受付して

1時間出席チェック等々の雑務して

のこり5時間は読書と課題などなどの時間になるという

なかなか美味しいバイトです。

 

でもね

 

でもね。

 

僕が大学生(学部生)のころ、

それはそれはそれなりにアルバイトをしてました。

朝から夜中までって時もありました。

 

その時は稼いでやるー!って思っていたのです。

 

でもね

ある人に言われたのさ。

バイトってのは、稼いでるんじゃない。

自分の売っているんだ

 

みたいなことを。

 

僕は結構ショッキングでした。

そうかぁ。稼いでると思うとプラスしかない気がするけど

売っていると考えると少しマイナスも入ってくるというか

自分を時給いくらで売っている・買われている

そういうこと。

 

 

そこから僕はバイトしまくるのをやめようと思ったし、

のんびり暮らしていこうと思ったんです。

 

今のバイトも本当に暇でいいんだけど

でもその代償に売っている時間は少なくない。

 

1日のバイト代と

1日の価値

見合っているのかなぁ。。。と思うことも。

 

でも仕方ないという面もある。

だってお金がないと授業料も払えないし、

生活費も払えない。

 

そういうギリギリの

葛藤。妥協。納得。諦め。

 

そんな日々に生きているのです。

 

僕は働きたくないなぁ。

いや、それは多分家事とか、畑仕事とか、

サッカーとか、そういうのだったらどんなきつくても

多分、やっちゃう。下手したら給料が最低限でもやっちゃいそう。

 

逆にどんな給料高くてもやりたくないことは極力したくない。

 

甘いこと言ったっていいじゃないですか。

だって、みんなそう思ってんじゃないか。

 

答えはきっと奥の方。

心のずーっと奥の方

ヒロトさんも歌ってます。

 

 

とかいろいろ言いながら

思うんだよね。

 

結局

帰り道

100万落ちてたら

むちゃくちゃテンション上がるよね。

 

 

大学院生活。のこと

こんにちは。

とっっっっっっっっても久しぶりにブログを書こうと思います。

 

最後に書いたのが大学生時代で、

あれやこれやの間に卒業して、兵庫の山奥の大学院に入院しています。

 

同年代が働きだしました。

 

長野で僕におにぎりをくれ、

原付で車に喧嘩を売り、病院送りになり、

教師になるんだ!と沖縄を飛び出したものの

結局、教員免許は全然取れず、教師にならず

僕と様々な経験を積んだ彼は、

サラリーマン生活をしているらしい。

 

彼についてはまたじっくり書きます。

 

ま、なにが言いたいかって

時代の流れは早いですね。ってことです。

 

気づけば22歳と5ヶ月。

大人になりました。

子供の頃なんて自分が22歳になるなんて思ってもいなかった。

ずっと僕は小学生とかで死んでいくのかと思っていました。

ところがどっこい。もう22です。

 

あ、ちがうちがう。こんな話がしたいのではなくて、

大学院生活の話でした。

 

 

相変わらず僕は僕らしくやっています。

変わったところといえば敬語を使えるようになったこと。

 

でもそれ以外は僕のままです。

もちろん入学式は尖ったまんまで行きました。

マフラー巻いて私服で行って、

夏目漱石の三四郎を読んでました。

その結果あだ名が三四郎になりました。

僕の人生の中で一番気に入ってません。ふぁっくです。

 

院生室にこもるようになりました。

おかげで室長というあだ名がつきました。

僕の人生の中で割と3番目くらいで気に入ってます。

 

気がつけばもう7月。ちょっとずつ慣れて

友達も幾人かできました。ありがたいことです。

 

周りにはたくさんおもしろいやつがいます。

青年海外協力隊だったひと

記者だった人

教育に一切からんでこなかった人

そういった人たちといろんな話ができるのは

いいなぁ。と思います。

 

蜂がよく出ます。

僕が以前暮らしていたところでも蜂との熱い戦いが

繰り広げられていましたが、今回もまだまだ

蜂との関係はミツのままのようです(うまい)

 

教員採用試験、

みんな頑張ってます。

 

特に応援もしないですが、足も引っ張りません。

自分で頑張ってください。というスタイルは継続中です。

 

 

みんなこうやって将来のことのために頑張っていたり、

現段階で働いている人たちを見ると

すげーなぁ。と思います。

僕はまだまだ学生で、社会のぬるま湯、モラトリアムと比喩される

空間に身を置きます。もちろん年金も猶予です。

 

「どこでやるかじゃない。なにをやるかだ。」

これは僕の尊敬する人の言葉です。

その通りだと思います。

研究者の端くれの卵として

頑張ろうと思います。

 

おれのやる気は低気圧

これは、たいらくんの言葉です。

よくわかりません。

 

 

そんな感じで僕の日々は流れていきます。

淀んだり、増水したり、枯渇したり、

葉っぱが流れたり、ばしゃばしゃしたり

穏やかな流れじゃないかもしれないけれど

それでもどっかからどっかへ

流れていくのです。

 

それで

 

いいじゃないですか。