中南米のひまじん。

不登校→大学院→青年海外協力隊→パナマ=ひまじん。スペイン語勉強中。そんな暇でしょうがないひまじんが、意識高いフリしてなんかする。

「教育ってやつとパナマってやつ」のこと。

運河の国からこんにちは。
8月ですねー。
なぜか僕の家の周りはこの3日間はお祭りみたいで
 
やれ音楽、やれ地響き、やれ爆竹
が夜通し行われており、なかなかファンキーな週末でござんす。
 
そんなわけでパナマに来てから大体5ヶ月くらい経ったわけです。
 
ちいっとばかしパナマ文化やスペイン語やらに慣れてきたのかもしれません。でもやっぱりコミュニケーションは難しいね。まだまだスムーズに会話が。。。というか意図を汲み取ることさえ難しい。おそらくこれは1人暮らしでyoutubeをひたすら見ていることが原因であろうと推測される。
 
ま、いいか。
 
だって、好きな時に好きな場所で音楽聴きながらタバコふかしてうはうはできるんだよ!ご飯もフリータイムでおうちもカスタム可能なんだよ!
ピアノの森」(漫画)のカイ君のように家の壁(コンクリ?)に鉛筆で、チョークで好きなように落書きできるんだよ!単語とかぽりぽり書けちゃうんだよ。
壁に穴あけようが、釘打とうがフリーなんだよ!多分!
レンガとか木の板拾って来てなんとなく棚作れちゃうんだよ!
間接照明とか置いて「オサレな男」演出できちゃうんだよ!
 
なんにもないからなんでもできる。
 
うん。まさしく。
(まぁ、まだなんにもやってないけどね。勇気なくて)
 
 
そうそう、暇だからたまには真面目に活動している風なことを書こう。
 
まぁ、いつものごとく僕のなんの根拠もない
教育のことなんだけど。
 
 
さて、こっちの学校来て、思うことがありまして。
まぁ、それはすなわち教育のことなんですけど。
(別にどうでもいいことなんだけど)
 
あ、先に言っておくけど、
別に結論もなければ得られるものもなく、
むしろその後に不快感がまし、パソコンや、アイフォンの電池を使い、かつ、時間を失ったという事実だけが残り、
 
あるいは、「このお盆の時期に何してしまったのだろう。。。先祖代々の皆様が必死に働いて、生きてくださったおかげで、今私はこの時間を生きていることができるのに、私としたら。。。あぁ、二酸化炭素を吐き出して、限りある電力、資源、時間を費やして何も生産せず、、、あぁ、なんてことを。。。このような不甲斐ない子孫で申し訳ございません。お許しください」ととてつもない後悔の波が訪れること請け合いです。
 
要は
1000害あって一ミリ利なしです。
 
 
さて、保険をかけたことだし。
 
 
日本の教育ってさ
(とここでひとくくりにすると怒ってくる人いるかもだけど言葉の綾ってことで流しておいてください)
 
やれ、生きる力とか、考える力とか、協調性とかをさ、こう、強調する節があるじゃん。
(あの、言葉の定義とかいちいちしてないからね。わからないし、というかわかるなら僕は今すぐ学者になります)
 
いや、それはすごい大切なことだし、
僕も生まれてこの方そういう教育にしか触れて来なかったわけですし。
小中高でその教育を受け、大学ではその尊さを知り、院ではそういうことの研究をちょっとだけして。
 
というわけで
完全に僕の中の教育のベクトルは
学力、点数なんてふぁっくだぜ
という方向へ突き抜けているのです。
 
だから
はしもとさんが学力重視!とかいいだした頃は
何言ってんのこいつ!とかまぁ、思ってたわけですよ。
 
でもね、言っていい?
 
ごめんなさい、はしもとさん、あなた「も」正しい。
 
点数主義には未だに懐疑的だけど
少なくとも学力(基礎学力ね)めっちゃ大事。
 
僕の心変わりの様子を
パナマの教育事情に即して説明しようと思いまする。
 
 
当初僕がパナマに来たのも
 
「学力上げろ。特に算数」
 
という要請を受けて来たわけですよ。
くる前は、いや、正直学力とかどうでもいいっしょ。むしろこう
日本文化とか、世界の広さとか、世の中の面白さとかいろいろ知る方がよっぽど大事やん。って思っていたのです。
 
でもさぁ、いざ学校で授業見たり、授業したりしても
なんかこう、しっくり来ないんだよね。
 
うん、つか、ぶっちゃければ
 
学力が低いんだよね。
 
普通に足し算できないやついるし、プリント作ってもちゃんとやらないし
こういう感じ。

 

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5年生。
 
ちょとまて、6+1=7はできてて(左上)
何で8+1=80やねん(右下)

 

絶対最後らへん飽きてるだろ。
 つかそもそも足し算ってなにか知っているのか?
 
という子たちがちょいちょいいるのです。
 
ここが一番難しいよね。
 
学力というか基礎能力に差がありすぎる。
できる子は普通に満点とる子いるからね(少数だけど)
 
 
だからこそ、教え方ってすげー難しいよね。
だからとりあえず僕はできない子にはその子用のプリント作ったりして
どうにかごまかしごまかしやってるわけです。
 
(別にパナマをバカにしてるわけでもこの子をバカにしてるわけでもなく
純粋にこういう子がいるという事実を踏まえて、
さぁ、どうしようか。っていう話ね。)
 
って、まぁ、僕の話はおいといて、
 
要は、足し算ができない奴に
やれ、生きる力だ。とか、協調性だ。
とかって机上の空論というか
 
無意味なんじゃないかとおもうんだよね。
基礎学力が基盤にあって、そこからようやくそういう分野に目を向けられるようになるんじゃないかなぁ。。
 
と思ったのです。
日本があんなに
学力だけじゃだめだ!
教室の外に出ろ!みたいなことを言うのは
 
それはそうよ、だって、みんな足し算できるじゃん。
 
すくなくとも8+1を80とは書かないでしょ。
せめて「8」とか「81」って書くでしょ。
それはまだまだ希望に満ち溢れてるよ。
 
ただの計算ミスかもしれないし掛け算と間違えたかもしれないし、
単位を間違ってるだけかもしれないだけで
「数字」とか「足し算」の感覚を
ある程度は理解してるんだもん(多分)。
 
 
やっぱり基礎学力があるから言えること、目指せることってあるんだろうね。
 
応用力もそう。
例えば掛け算を教えた時だって
 パナマではこんな感じ。
 
き「2x1は2だね。じゃあ2x2は?」
 
子「わかんない。まだ習ってない(覚えてない)」
 
き「でもさ、2x1は、2が1つあるから2。同じように2x2は2が2つあるってことだから、
2x1の答えに2を足せばいいんじゃない?」
 
子「2+2ってなに?2?3?それとも4?」
 
き「えっと・・・(ちーん)」
 
こう言う状況が起こりうるわけですよ。
実際に似たようなことはちらほら起きるけど。
 
こう言う子どもたちに
学力よりも生きる力だ!
とかほんとに言えるのか。ってことだよね。
 
足し算ができない子どもの生きる力ってなに?
 
こんな抽象的なことは言いたくないけど
社会では生きていけないよね。まちがいなく。
 
子どもを、自由に、学ばせよう!
学力以外のことも大切だ!
って
 
教育の歴史がいうように、
広田照幸がいうように、
 
教師の責任逃れ(「という一面性もある」として保険をかけておく)かもしれないよね。
 
 
もちろん、
学力主義を排撃してそれ以外が大事!
ってわけでもなくて、どちらも!という教育にありがちな
どっちつかずのずるい回答もあるんだろうけど。
 
でもさ、どっちを先にしますか?どっちが土台になりますか?
って言ったら基礎学力なんじゃないかと。
少なくとも四則演算が普通にできるまでは。
 
 
そういうことをパナマの子どもたちをみて思ったんです。
 
 
って考えて
 
こっち来て
日本の教育みたいなものが改めて俯瞰できたような気がする。
 
当たり前のようにみんなに最低限の基礎学力があるからこそ、
基礎学力のことをあんまり深く考えてないと言うか
ないがしろにしてはないけど、重要視していないというか
そんなふうに感じたのです。
 
すくなくとも声高らかに
学力なんてふぁっくだぜ!
とか言ってた僕に
「雪崩式牛殺し」喰らわせたいです
     ↓

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(別にプロレスは好きでもなければ詳しくもありません)
 
 
 
えぇ、そのとおり。書くのに飽きてきました。
 
 
これは僕の持論ですけど
 
教育が好きな人、語る人、勉強する人
総じて関心がある人ってさ
 
教育に対してとっても前向きで希望を見出す人と
ニヒリズムというか
絶望、懐疑的、いや、つか教育って怖いよね、おこがましいよね。
って思う人に分かれそうだよね。
まぁ、少なくとも僕は後者です
(この先にどうにか光を見出そうとは思ってるけど)。
 
 
まぁ、そんな感じで
ぼくはいきてるよ。
 
(この飽き具合たるやあっぱれ)。
 
 

「この世界と僕の家」のこと。

こんにちは。

 

あっというまに月日が流れまして

あれよあれよで7月のきくちでぷ。

 

 

そういえばこの前、

校長と2人きりになった時、沈黙に耐えられなくなって

つい、

「あ、あの、僕、教員に向けたセミナーでもやろうと思うんだけど」

 

とか言っちゃったその2日後。

 

 

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こんなのやる羽目になっていたのです。

 

まぁ、日本の教育についてどんなものかを紹介するんだけど

言葉がねー。いかんせん話せないわけですわ。

もうフルボッコのボコボコで笑われまくるわけです。

セミナー後に校長から

「今度から発表前に原稿見せろ。直してやる」と言われるくらい。

 

そんなもんだったのです。

でもさ、

たった半年前に、「サッカーとは相手のゴールにボールをたくさん入れたほうが勝ち」

ということを知った少年がいて、初めてボールを蹴ってから半年で公式戦に出て活躍できるかって話よね。うんうん。

 

まぁ、そんなことはどうでもよくて

 

 

喋れないなりに、どうにかしてこれだけは伝えたいと思ったことがあって

 

「僕は日本の教育はパナマの教育より優っているとは思っていない。形が違うだけでそれぞれの特徴があるだけ。だから今日の発表はただこういう考え方もあるんだよって

一つの知識として知っといてほしい。多分それがみんなの役に立つともうから」

ということをどうにか伝えた時に

教員が「うんうん。その通り」と頷いて共感してくれた時に

あ、やっぱりそうだよな。完璧な教育なんてありやしないし、最悪な教育もありはしない。国や文化や子どもたちに合わせていろんな形の教育があって、それをどの国であれ教員は思ってるんだなぁ。。とちょっと嬉しかったのです。

 

 

基本的にぼくは

積極的に引きこもってパソコンいじってるんだけど、

セミナーの後から、教員に子どもたちのや授業の話をするようになって、

「今度授業してくれよ」って言われるようになったりして、日本の教育の考え方や教材を紹介する機会が少しずつ増えてきて

あ、ちょっとずつ前に進んできているのかもしれないなぁ。。。と思いながら日々を過ごしているわけです。

 

ま!日本の教育とか言って僕全然知らないんだけどねっ!!!

してきたことも受けてきたこともないんだけどねっ!

「足し算・繰り上がり、教え方」 

ってグーグル先生に答え求めてるんだけどね!

 

さて、こんなまじめな話は置いといて、

 

そろそろ本題のおふざけの方へいきましょう。

 

 

この国には、なぜかよくわからないけれど

イベントがかなりある。

例にも漏れず、この小学校も月に2、3回くらいイベントがある。

 

例えば先週なんかは

今日はぬいぐるみの日だ!って言って

なぜか子どもたちがぬいぐるみを持って学校に来た。

まぁ、これはあれか。日本でいう七夕に笹とか短冊もってきたよ!

みたいなレベルで全然許容範囲。

ただ、その後校長が音楽爆音にして

パレード行くぞ!って言ってみんなでぬいぐるみ担いで

街を行進するというイベントがありました。

 

いや、おい。校長。

 

ま、いいか。うん。

 

そしたら昨日、また急に音楽が鳴り出して

おお、今度はなんだ?と思ったら

 

幼稚園(5歳くらい?)の子どもたちが

 

走って洗濯バサミをロープにくっつける

また戻って洗濯バサミを取る。

またロープにくっつける。

これを5回くらい繰り返す速さを競う大会が学校で開かれてました。

 

なにこれ?

 

え、ごめん。もう一回。

 

なにこれ?

 

見たことないんだけどこの大会。

え、これまじでなに?

 

という、問いにいつまでもしがみついてもしょうがないから

きっと世の中の価値は一面的じゃなく

多面的に捉えなくてはならないという教訓だったに違いない。

と納得して

そそくさと退散したわけです。

 

さて、そんなこんなで

こんな日常を過ごしているぼくですが

今日はそんな僕の日常を紹介しましょう。

 

ようやく本題。

 

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(以下英語の教科書風に)

 

(キャサリン)これは、物置ですか?

(きくち)いいえ違います。

(キャサリン)これは、なんですか?

(きくち)これは僕の家です。廃墟ではありません

 

 

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(ケン)あれは、なんですか?

(きくち)あれはにわとりです。

(ケン)にわとりはなにをしていますか?

(きくち)にわとりは、僕が家に入るのを、いつも邪魔します。

(ケン)にわとりは好きですか?

(きくち)はい。毎朝と毎晩の夜中にうるさく鳴くので今度食べようと思っています。

 

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(ジョン)あれは、なんですか?

(きくち)どれのことですか?扉のことですか?

(ジョン)とびらの下のことです

 

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(きくち)これは隙間です。

(ジョン)どうしてあるのですか?

(きくち)知りません。ただ、虫が入ってきます。大雨の時は水も入ってきます。

 

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(ジェームス)ここはどこですか?

(きくち)わかりません。

(ジェームス)どうしてですか?

(きくち)家のまわりの道は全部こんな感じだからです。

(ジェームス)目印みたいなのはないんですか?

 

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(きくち)僕の家のそばには鴨がたくさん歩いています。

(ジェームス)なるほど。あんしんですね。ナイストューミトゥー

(きくち)はい。ミートゥー。

 

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(アナ)これはなんですか?

(きくち)僕の村にある唯一のお店です。

(アナ)混んでますか?

(きくち)はい。犬がたくさんいます。

(アナ)日本のどこに似てますか?

(きくち)銀座。

 

 

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ジョアンナ)人は何をしているのですか?

(きくち)買い物をしています

ジョアンナ)ここはなんですか?

(きくち)たまに車で出張販売が行われる場所です。

ジョアンナ)車はいつ来ますか?

(きくち)毎週金曜の朝7時から10時くらいです

ジョアンナ)早いし、短いですね。

(きくち)はい。そして売っているものはお店と同じです。

ジョアンナ)どこに似ていますか

(きくち)六本木。

 

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(ケビン)この人たちは誰ですか?

(きくち)僕の村の住人です。

(ケビン)これで全部ですか?

(きくち)いいえ。違います。5割くらいです。

(ケビン)少ないですね

(きくち)少ないです。多分島根県と同じくらいです。

 

 

 

。。。。

飽きた。

もういいや。

とにかくこんな村で過ごしているのですよ。

 

 

この村から

150キロ位行った首都パナマには

ゲーセンあるわボーリングあるわ

プラダもグッチもあって

高層ビルどーん!!

なんだから面白いよねぇ。。。

 

150キロって言ったら

東京都から

長野くらいっしょ?

いや、すげーよなぁ。

 

あ、そういえば大家がワイファイを解約するって言い出して

どうして?って聞いたら

娘が勉強しないでケータイいじってばっかだからだって。

 

どの国もだいたい同じね。

 

はい。またね。

 

 

「飾りじゃないのよコミ障は(ふっふー)」のこと。

こんにちは。

最近、書いてて何にも面白くなかったので

久々にどうでもいいことを本気で考えてみようと思った。

長編だよ。気をつけて。

 

 

1−1 序論

 

僕は思うのです。この世界、どんな職種であれ、職場であれ

必ず最後に立ちふさがる壁は人間関係であると。

そしてその人間関係の構築に必要不可欠なのはコミュニケーションである。

 

生まれたばかりのあかちゃんは泣いて(ボディランゲージ等を含めて)要望を伝えてこの世界を生き抜くし、

「言葉なんて必要ないぜ」って言葉を使って説明する人がいるし(言語使用不可避説)

逆に言葉にしないとわからないのよっっ!!なんて女の子は言うし、(言語絶対主義)

かといえば行間を読むこと、奥ゆかしさを感じること。。。なんて文化が日本にはあるし(非言語コミュニケーション)

なんだこの息苦しい世界は!?

どこもかしこもコミュニケーションだらけじゃないかっ!?

 

そう、現代は全世界に瞬時にアクセスすることが可能な時代、かつ、家族だけでは

なく、いたるところの多様な人種と出会う機会が多々存在する今、コミュニケーションとやらはとてつもなく大切なわけである!

つまりコミュニケーションによって良好な人間関係さえ構築することができれば人生はもはやアイテムボックスにスターしか入っていない世界のマリオみたいなもん!

たぶん!

 

1−2 問題提起

 

だがしかしっ!!

世の中がコミュニケーションに支配されればされるほど、

その勢力からはみ出してしまうもの、あるいは、その圧力に押しつぶされる人間も少なからず存在するのも現実である。

なんじゃい生きる力って!なにいつの間にかサバイバル能力じゃなくて助け合うとか

わかりあうみたいな方向性に?学び合いってなんじゃい!

え、つかなんなん?なにが正解なん?

え、つかなに、コミュニケーションってなんなん?

空気読むってなに?空気は吸うもんでしょ?

え、え、どうすればいいの??

アマゾンで売ってる?あした届く?え、プライム便有料!?あ、学生タダ!

 

コミュニケーションという、出口の見えない迷宮の壁ラビリンス(守備力3000)に迷い込んだあなたはそう、

 

通称、コミュニケーション障害と言われるわけです。

 

ただ、ここで一つ留意しておきたい。

これ、コミュニケーションが重要視され始めたこの現在に対しての問題提起なのではい。むしろ、それは望ましいことである。しかし、問題なのは、コミュニケーションが重要だよ→みんな頑張る

→(ここまでは良い)

→あいつ全然ダメじゃん→コミ障じゃね?ぷぷぷ(笑)

 

ん、なにそれ。違うぞと。

 

私たちの(怖いからとりあえず複数形)コミュニケーション能力が低下したのではない。周りが上がりすぎているのである。つまり、従来まではまぁ、そんな子もいるよね。と流されていたのにもかかわらず、まわりが成長するがゆえに相対的に平均値が上がり、

気づいたらデットラインの下に突き落とされている(ように錯覚する)のである!

私たちが低いのではない!お前らが高いのだっ!!

 

は、ちょっと脱線してしまった。

まぁ、つまり、そういう人もいるからもう一度コミュニケーションってなにかな?

っていうのを考えてみましょうよって。

 

そんな僕の物語。

 

 

2−1 研究方法

 

まぁ、前置きが長くなったの早速始めよう。

ただね。コミュニケーションを考えたら本当に論文になっちゃうからもう端折るね。

そこから本気で考えたい人は僕の研究室の教授が書いてる本でも読んでみてください。

意味わからんから。

 

ということでコミュニケーション障害に絞って検討を進めることにしまーす。

 

さて、改めまして。

手始めにコミュニケーション障害とは(以下コミ障)なんぞやを知らなければならぬ。

では巷でいうコミ障とはなんぞやと。

まぁ、僕の日常はとっても暇、、もとい、仕事を終えた後の時間がたくさんあるのでそれを利用して、

仕事中、、、もとい、休憩時間に見ていたコミ障に関してのネット上のつぶやきをいくつかピックアップをして、僕の独断と偏見によってコミ障とはなにかを勝手に解釈していこうか思うわけです。

 

そして昨今、「コミ障」はどうやら他称から自称へと時代の変遷と共に移り変わり

いわゆるファッションとしての「コミ障」が蔓延しているという噂を聞きつけて

あぁ、それ、多分僕のこと。と内心ドキドキしているので

これを機に、結局どうなんだろうねということも追求していこう。という企画。

 

まぁ、要はどうでもいいことを

なるべく真面目にかつ真剣にそして馬鹿らしく考えていこうと思ったのです。

 

最高の暇の過ごし方になりそうですね。

 

「暇は潰すのではなく、楽しむためにあるのである」(菊地,2017)

 

ふむふむ。めもめも

 

あ、また脱線した。

 

2−2 コミ障とはなにか。事例から見るコミ障像

 

気を取り直して。というか、みんなそもそもコミ障って何かわからないよね?

ということでまずはコミ症がどんな特徴を持つのかを捉えてしてみましょー。

 

さて、ネット曰く「コミ障」には幾つかの特徴が挙がられている

(多分ね日本にいたら本から抜粋するけど、無いからもうネットでカンベンね。)

 

まずざっと列挙しよう。

(グループ①、②ともにすべてネットからの引用。URLは忘れた。)

 

グループ①

1 話し始めに「あ、」「まぁ、」を付けてしまう

2 自分から話は振らないけど話しかけられたらそれなりに応じる

3 仲の良い奴の前ではテンション高い

4 電話が苦手

5 沈黙が怖い

6 2人っきりになると話すこと無くて気まずい。

7 でも3人以上になると黙る

8 ネットでは饒舌

 

ん、ちょっとまて。

この段階でかなりピーンとくる。

というか8の「ネットでは饒舌」ってスッゲー恥ずかしいんだけど。

もろやん。すいません。小さい人間です。。。

 

なんか心折れかけた。けれどももう少しみてみましょう。

 

グループ②

1敬語とタメ語を行ったり来たり

2話しかけようとしても、 「変に思われたらどうしよう」と、 脳内妄想が始まり、結

 果 踏みとどまってしまう

3 ちょっと遠くから近づいてくる目上の知り合いにどの辺で挨拶すればいいかすごく

  迷う

4 俺ここにいなくても成り立つなって思った途端に存在感を消す

5向こうの方から微妙な知り合いが歩いてきたら、考え事してるふりして、視線をあら ぬ方向に固定する

 

はいはい。なるほどねー。

1の敬語とタメ語ね。うん。わかる。ついでちゃうよね。敬語。

忘れもしない、大学一年の入学したての頃。。。

敬語を知らない僕は体育科の人や教授に

 

「あ、そーなん?」

 

とかいっちゃってめっちゃキレられた記憶がある。

そこから僕の体育科系恐怖症は始まったといえるだろう。

というかそこから大学でジャージとかスエット着ている人見ると

「ビクゥっっっ!!!」となるようになった。

いや、これほんと。ちょっと体うくもん。足の毛穴からなんか出て。

 

さて、ここまでは

いわゆる「コミ障あるある」を見てみたのですが

 

どうっすか、これ。結構みんなも当てはまりませんか?

僕はかなりストライク多めで10打数5三振3凡打2死球くらいの成績です。

 

それはさて置き、

コミ障がどんなもんかってのが見えてきましたか?

 

これって、実際どういうことなのか

ということも考えていきましょう。

 

 

2−3 「コミ障」に関する分析と検討

 

僕は感動しました。

ちょっとネットを見るだけで、あぁ、こんなにもたくさんの人(コミュニケーションを苦手とする人)がいて、熱き思いを(人には直接言えないからネットに)叫んでいることに(実際にはツイートというささやき声だけど)。

そしてそんな人たちが、

コミ障とは単なる奇怪な存在ではないとしっかりと主張しています。

 

以下 引用

 

「コミュ障は喋れないんじゃなくて、こんなこと言ったら相手に悪いかなとか、変に  思われないかなとか、どう返すのが一番正しいんだろうとか、いろんなことが頭の中 でぐるぐるしてて、言葉を出すのにちょっと迷っちゃうだけで、決してあなたとお話 したくなくて「ぁ…ぁ」とか言ってるわけじゃないんだよ」

 

ははぁー

もうこれ正解。座布団あげる。

そうそう考えすぎちゃうんだよね。え、っとどうすれば良い回答なのか??

なにが正解か??というかなんて言えばこの場が楽しい場となってくれるのか・・?

と答えを探すのです。

そんな頭を説明してくれた図がこれ。

https://matome.naver.jp/odai/2148630594400582101

 

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うんうん。

迷った結果の

「そうですね。。。」だからねっ!

相手からしたらすげーキョドッて考えた末に「そうですね」

って言うなら最初から言えよ!ってなるかもですが

すげー脳みそ動いた後の「そうですね」だから!!

結論なんてどうでもいいだろうが!

 

そんなこと言ったら

ドラゴンボールだって、

 

あぁ、「悟空が地球を何回か救うよ」

 

で終わるじゃん。

そうじゃないじゃん!そこにはこう、ドラゴンボールっていうのがってさ、七つ集めるとさ、、、セルがいてさ、悟飯がさぁかっこいいんだよ。。。その背景にはさ、ピッコロが修行してあげてさ、あ、ピッコロっていうのはナメック星人で、あ、そうそう、そのナメック星っていったらフリーザーがさぁ昔サイヤ人をさぁ、、、そこで悟空がスーパーサイヤ人に。。。(以下略)

 

で、悟空が最後に元気玉で地球救うんだよー!

 

じゃん!ここでしょ!この略されたところありきの結末でしょ!

それを踏まえた上で「そうですね」を聞けっ!うけとめろ!そして解釈しろ!

そっちがコミ力高いなら救ってくれ!空気とやらを、行間を読んでくれ!!

 

あ、脱線してた。

ごめん。

 

でも、そもそもうすうす気づいている人がいるでしょう。

つか、きくち、こんなこと書いてるけど、別におまえ、コミ障じゃないじゃん。

なんかキャラ作り?そういうの痛いよ?

 

うるせい!

これを見ろ!

 

引用

「コミュ障には三種類いる。 ①マジでコミュニケーション取れない人 ②趣味の合わない人とは話せないが、気の合う人となら会話が止まらない ③色々な人と会話でき、人当たりがよさそうな人間を演じる事が出来るが、物凄いエネルギーを消費する ③はコミュ症として認めてもらえず肩身が狭い」

 

これ!僕③だから!

まさしく今の状況!

そりゃしゃべれるよ!どうにか会話に食い込めるよ!でもな!疲れるんだよ!

つーか、考えすぎるからこそ、ここでぼくがつまらん顔してたらみんなに迷惑だな。。。がんばろ。。。って思考になるんじゃい!

2人でももし僕が静かだったら向こう迷惑だよな。つかもう僕といる時点で迷惑だよな。。すこしでもそれを軽減しなくちゃ。。。

そういう思考の挙句、

→「そういえばさー!このまえさー!」(HP2億消費)

 

だからな。

 

そしてこれまた引用

 

「私思いまするに、③の人は「コミニュケーションを取るのにエネルギーをたくさん消費する」と同時にですな、「エネルギーを使いさえすればコミニュケーションを取れるんだから消費しないのは怠慢である」という責任感を持っているのですよ。だから生きづらい。」

 

ということなんです。まさにその通り。そういう自覚があるからこそ

頑張らなくちゃ。。。って思う一面もあるわけだ。

 

。。。うーん

なんか結末が分からなくなってきた。。。。

 

あ、でもさ、全然違う意見もあってさ、

 

例えば(抜粋して引用)

 

「単に人見知りだったり口下手だったりする人のことを″コミュ障″とは呼ばないと思うんです。そういう人は、むしろ人一倍コミュニケーションに気を遣ってることが多いと思います。言わなくてもいいことを言わなくてもいいときに言ってしまうのが、コミュ障です。」

 

なるほどね。俗に言う空気を読めない人がコミ障なわけか。

これに従うとなると

僕はコミ障ではなくて、ただのコミュニケーションが下手くそなやつ、頑張り屋さんなやつ、 って感じになっちゃうのか。

なるほどねー

 

うーん。でもなんか釈然としない。

 

心理学でよくあるじゃん。病名がつくと安心するってやつ。

A「体調悪い。。。なんだろうこれ。。。死ぬのかな。。なにこれ・・怖い。。。」

医者「うん。これ風邪ですね。」

A「あ、そうでしたか。そういえばもうなんか苦しくないっす」

みたいな現象。(いやほんとにあるよ。これ。)

 

だから僕もなんかコミ障っていう称号があればこう、

すっきりしそうな気がする。

まぁ、現時点でかなりすっきりしてるんだけどね。

 

ということで

 

3 結論

 

そもそもコミ障とはなにか、ということを見てきて

その思考回路、その原因を探ったわけですが、なんだか悪いもんでもなさそうな気がしてくるよね。

つかコミ障っていう字が悪い。

全然障害じゃないから。悪いことしてないもん。

堂々と自分のコミュニケーションの方法を取っていいなぁ、と思うわけですよ。

 

最後に僕がちょっと安心したコミ障のいいとこ?に光を当てた方の

つぶやきをご紹介

 

①「まあいいか」と受け流す

②マイペースを保てる

③人生は思い通りにならないと思う

④タイミングが悪かったと考える(誰のせいにもしない)

⑤相手の事情も想像できる

⑥何事も経験と思う

⑦周囲に頼れる

⑧現実逃避が上手

 

 

悪くないよね

なんかとっても気楽そう。

いい意味で諦めてテキトー

ふんわり生きる。そんな生き方が今後のコミ障と呼ばれている人たちの

生き方なのかもしれない。

 

でもまぁ、実際にどんくらい不利益を受けているか、とかわからないもんね。

それにいわゆるコミュニケーション能力高い人からみたらどう見えるんだろうね。

この生き方でもいいじゃん。って結局自己満にすぎないからね。

ていう点には着目できなかったため、上記の点は今後の課題としたいね。

 

さて、

本戯言にあたり

ご協力いただいた世界のつぶやきに感謝するとともにまた、その言葉に勇気をいただいてここまで書くことができました。この場で感謝申し上げます。

また、青年海外協力隊という肩書きをもちながら

コミ障ということに関して全力で考える時間を与えてくれた周りの皆さん

・・・は別にいなかったわ。

 

うん。

結局ぼく。

ひとりだったわ。

 

つか、こんなことしてる間に教材作ったり

スペイン語の勉強しろって話だよね。

これってさ、コミュニケーション能力の前に

人間としてダメだよね。

 

ま。いいか。

 

あ、言うまでも無いことですが

そもそも「コミュニケーション」とはなんぞやという議論はクッソめんどくさいのですっ飛ばしました。

知りたきゃ図書館でも行ってみそ。腐るほど本あるから。

ちなみにこれ、僕がかつて書いた

ラインスタンプコミュニケーションのちょっとした論文

暇だったら見て味噌。

これよりかは真面目に書いてる。

 

ci.nii.ac.jp

 

 

余談ですが、僕が在籍していた

教育コミュニケーション専攻にまともにコミュニケーション取れる人

(学生・教授含めて)が少なかったので(というよりガチコミ障だった)

 

なんでだろうね?って友達に聞いたことがあります。

そしたら、コミ障だからこそ、コミュニケーションに関心持つんだろって言われて

 

すげー納得。

 

僕未だに関心持ってるんだけど。。。

 

 

 

ちゃんちゃん。

またね。

 

というか、、、ネットだと饒舌。。。

結構心にくるな。。。