中南米のひまじん。

不登校→大学院→青年海外協力隊→パナマ=ひまじん。スペイン語勉強中。そんな暇でしょうがないひまじんが、意識高いフリしてなんかする。

「きまぐれ」のこと

チャリ旅で立ち寄った京都の大学。そこでやっぱり衝撃を受けた。

なんて楽しそうなんだろう。

タバコもバイクも車も

販売もギターも関わりもなんてフリーなんだ。

そういうのを通して

やっぱり大学って楽しくなくちゃ。と思った。

 

ということで自分の大学を考えてみた。

もちろん大学によってはルールも設備も環境も違うし、個人差があるからから一口にはいえないけど僕個人的にはあんまりおもしろくない。

教育学部しかいないし、みんな同じことやってるし。

 

なーんてことを思っていたけど

でも改めて考えてみれば面白いメンツそろっているよな。

音楽専攻がいて技術専攻がいて、数学から言語までいて

まさか教育学部のみという「それだけ」というものが捉え直すと「こんなに」にかわった。

いやぁおもしろい!

みんながそれぞれの味を出して共有してそれが循環したらむちゃくちゃ面白くなんじゃねぇの!?

音楽の人が歌を歌いだして、美術、技術がモノを生み出して、家庭科がおいしいもんつくって、言語が言葉を紡いで、数学、体育はなんかよくわからんけどのりに乗って

みんがそれを表現したらすげーワクワクするんじゃねぇかと。

 

あとは場だけ。

前置きが長くなったけど

ということでイベント(場を)を開く訳です。

 

あ、大学ってこんなことしていいんだ。

 

その単純なことが足かせになっているのではないか。

だから僕はこんなことをする。学務にも怒られる。

でも、やる。(ちゃんと許可ももらったよ。)

今は何あれ?となるかもだけど

だんだん日常化してきたら自然となにかをすることに抵抗がなくなって行くんじゃないかな。

そしたらきっと循環がはじまるのではないかな。

 

「0から1」

それがテーマ。

 

きれいな所にゴミは捨てないけど

ゴミが落ちている所には捨てちゃうでしょ。少なくとも抵抗は減る。

 

人は便乗するのが良くも悪くも得意でそれは集団心理が働くからなんだけども

ただ、一番最初に手を上げるのはなかなか難しい。

 

だから少しずつそういうのをおこがましいけど僕ができたらいいかな。と。

 

でもこんなカッコつけながらも

無理はしない。

気分が乗んなかったらやんないしめんどくさくもやらない。

義務感も感じなければ使命も感じない。

これで終わるかもしれないしずっと続くかもしれないし。

だって頑張る必要なんてないじゃない。金ももらえないしむしろ出費かさむし

 

楽しみたいの。それだけよ。

だから無理はしない。

 

だから

きまぐれ

なのさ。

 

 

 

 

「チャリ旅」のこと

どうも。旅の報告です。

スタートは長野市、ゴールが大阪。移動は自転車ということで実習終わって旅立ちました。

10日間で860キロ

 

 

三年前より体力、精神的にもつらかった。そんな旅の報告です。

 

出発初日は台風が過ぎ去ったその日に出ました。

夕方三時出発上越の方まで行きました。

 

到着は8時くらいだったかな。

偶然に偶然が重なり上越教育大学のソファーで夜を明かしました。

連れてってくれた四年生の学生といろいろ話して、なるほど

どこでも実習は大変なんだなと。

回ってくる警備員さんにも勉強ですか?お疲れさまなんて言われ、つい

えぇほんとに。教採が忙しくてなんて嘘をこきながら。

 

疲れからか、速攻で眠くなりすぐに寝る。でもソファーの狭さや、明るさで熟睡にはいたらず夜明けと共に起きる。(5時)

コンビニでカップラーメンを食べ、おにぎり食べ、ウイダーゼリーをのみ

すきやの朝定食を食いながら寝てどうにかこうにか。二日目に突入したのです。

 

本来ならば上越で相方と合流して共に目指す予定だった。

しかし、相方は直前までインドにいて、帰国日には台風でかえって来れず、

途中で合流しようという話に。

富山に行く途中の駅で合流!という話が、相方の寝坊により

結局富山駅まで一人旅。

意外と一人で走るのは寂しいもんで、道もよくわからずハイテクな機械も無く、

人に尋ねて、標識を観ながら、道に迷いながら富山へ。

朝早く出たおかげで、夕方4時には駅へ。相方がくるまでブラブラ、銭湯にも入る。

もちろんケロリンのオケがありました。

 

相方と合流して

富山大学へ寝に行こうとするが、閉まっており、学生に話を聞いてもやはり入れないとのこと。じゃ、テントで野宿ですね。ということで公園で夜を明かす。

 

朝、ついに石川県は能登半島に突撃。

しかし石川県は地獄の始まりでした。

 

 

まず、道が暗い。狭い。わかりづらいというチャリラーにとってのきつい道。

峠を迂回するルートを走ったんだが、仇となり、目的地までたどり着けず

途中で街を探すために人に話を聞いても

○○街にそこにコンビニとかお店ありますか?

あるよ確か一店舗。(石川県あるある:聞くときはまずあるかどうかの確認。)

          (あるある2:ついでにコンビニの店舗数が分かる。)

な、なるほど。ご飯食べる所あります?

もう閉まっているかな。(あるある3:8時をすぎると大抵すべて閉まる。)

そうですか。ちなみにどのくらいはなれてますか?

3、40キロかな。(あるある4:次の街がRPGなみに遠い。)

頑張ります。

 

石川県の田舎の方は、街灯もなく真っ暗。一歩間違えれば海にドボンなんて曲がり角もちらほら。

 

すこし泣きそうになりました。

 

三日目はついに先っぽの岬まで行きました。

どんな場所かは自分で確かめてください。ただ、10年間の寿命が500円で買えます。

 

 

能登半島をぐるりと回ります。

(あるある5:石川県の峠は小出し峠(僕ら命名)で少し上って少し下るが非常に多く、疲れる。)

 

輪島市を通り金沢めざす。

途中にゴジラがいます。

正直一番テンションあがった。

このルートでは国道249にひたすらお世話になる。僕らは三日間お世話になった249にお礼を伝えた。

(あるある6:最後のお別れは自転車を降り、手を振りありがとう249と伝える。)

 

金沢に近づくと大都会になる。(あるある7:あれ?こんなに人がここにはいるんだと変な錯覚を起こす。)

(あるある8:久々に女の子に会うとなんでかとてつもなくにやにやしてしまう。)

 

都会でも野宿を決行。(あるある9:都会になればお店もあって便利だけどそれに比例して寝床の質は落ちる。)

 

金沢から福井県に入るその最後の峠でついに相方のチャリがパンク(あるある10:石川県は最後の最後までサプライズを用意する。)

 

原発のある敦賀に着。(あるある11:原発のある街はやはり道路などがきれいに塗装されている。)

そのまま滋賀県に突撃。

琵琶湖のそばの高島市というところで夜を明かす

(あるある12:高島市ではすきやは並んで入るお店。)

琵琶湖は思った以上に汚くて泳ぐのはやめた。

 

京都イン!

毎年なんだかんだで訪れているこのまち。相変わらずいい街だった。

台風の影響はまだ残っていて、山のそばではマンホールから水が今でも溢れ出ていた。

 

京都では京都精華大学を見学。

すごかった。

喫煙、ポイ捨て、バイク、車で校内をビューン。

信大の二大タブーを18秒くらいで目撃。そして岩には自由自治の言葉が刻まれていた。

 

図書館には雑誌からDVDまでおいてあり、

ソファーに仕切りが合って個室状態でなんでも観れる環境に。

パソコンはたくさんあって、WindowsはもちろんMacもたくさん常備されていた。

すげー。

また、生協には画材道具などから、学生の作品まで売っていた。思わず買う。

 

そしてキャンパス内ではギターを弾いたり、

勝手にフリーマーケットをしていた。

なんてわくわくする所なのだろうと影響を受けた。

 

ゆっくり休憩をして、大阪に。

都会は迷路のようになっていて自転車では行き止まりに何回あたったことか。

そんなこんなで大阪に着。

観光してぐだぐだして

知り合いの車に乗っけてもらって長野に帰ってきましたとさ。

 

 

事細かに書こうとしたら面倒くさいので

印象に残ったことだけを挙げてみました。

 

でもこうやって改めて振り返ると

あぁ。いい旅だった。

 

「読む」ということ

後半アディショナルタイム

味方のスルーパスに反応し、裏に抜け出したFWがPKエリア内でファールを受けたが

レフェリーはシュミレーションと判断、警告がくだされた。

GKがすぐさまのロングボールを放ちカウンターに転じる

サイドハーフがトラップし、トップ下に預ける。厳しいチェックを受けるが、レフェリーはアドバンテージをとる。

オーバーラップした右SBがパスを受けすぐさまアーリクロスをあげ、FWがダイレクトボレーを決めるが、わずかにオフサイドラインを超えていた。

結果、勝ち点をお互いに1ずつ分け合った

 

 

 

ざっと適当に書いてみてもサッカーには多くの専門用語がある。

サッカーに詳しい人がみたら内容はわかるし、情景も浮かぶだろう。

しかし、未経験者でサッカーに興味のない人は何がなんだかわからないことだらけに映るだろう。

 

テクニカルターム、専門用語はごろごろしている。

 

 

文字が読める人は読むことができる。

しかし、理解はできない。

はたしてそれは「読む」ということになるのだろうか。

 

文字を読む

それすなわち理解するということにはつながらない。

それは素読にすぎない。

 

 

 

そんなことは日々、日常茶飯事である

 

 

さて、

今日、家庭科の被服学基礎の授業でそんなことが起きた。

それは「なかおもて」だからちがうよ。

「まち」を考えてる?

「たちめ」を丁寧に。

等等

 

数えきれないくらいに専門用語

というか普段なじみがない言葉が容赦なく襲いかかる。

 

結局どういうこと?

どうすればいいの?という本質的理解がされぬまま、言われた通りになぁなぁと作業は進む。

 

 

今日の教育現場でこのような光景はよく起きているのでないか。

 

教師(教える立場)は往々にして難しい言葉を使いたがる

否、それが、専門性の高い難しい言葉だと認識していない。

 

 

生徒にとってそれはフラストレーションにつながり、

教師にとっては説明したのにできないなんてというストレスにもつながる

(ん?ストレスとフラストレーションってなにがちがうのかな。)

 

 

でも、いくら説明されてもイメージ。想像。ができないとただの素読。

逆にイメージができていたら、つたない言葉でも伝わる。

そういう経験ないだろうか。

 

作業をしているときにイメージを共有できていれば、あれ、それ、これという日本語独自の表現が生きる。

 

 

そして今日の発見。

専門用語を説明するときには、

言い換えが必要で

同言語よりも他言語(往々にして英語)が意外と伝わるということ。

(なによりもシンプルに)

 

先に挙げた「たちめ」は

日本語で説明するよりも英語でばっさり。

断ち目=cutting line

日本語だと布をきり終わった端の線かな。

 

(ちなみに「まち」はスペースかな・・・?)

 

(「そとおもて」は感覚で言うとリバーシブル・・・

ちょっと違うと教授に言われたけど

日本語説明だと

完成時に袋をひっくり返すからあらかじめ生地を裏返しにし縫い合わせていく

というような説明を受ける。

よくわからん。)

 

 

 

ということである。

 

 

人と話していても、微妙なニュアンスを伝えるために

英語で伝えることは意外と少なくない。

 

 

考えてみれば妙である。

 

日本語特有の言い回しや意味を

説明するときに

他言語を用いる方が便利だということ。

妙だな。

 

なら日本語とは他言語との交互性が高いのか。

 

というわけでもない。

いやどうだろう。

 

日本語を英語ではよくあるが

逆はあるのか。

 

僕らは日本語ネイティブだからこそ起こりうる現象なのか。

 

うーむ

謎は深まるばかり。

 

 

 

教授とちょろっとそんなことを議論してたら

 

論文かこうかなぁとか言ってた。

 

すかさず、スペシャルサンクスに僕の名前を入れてね。

 

 

うん

抜け目ない。

 

 

 

タイトルとは違った流れになってしまった。

 

ま、

でも読むに関心があったら

外山さんの

 

「読みの整理学」

 

おすすめです。